麻雀打ちの頁/雀のお宿

手役へを狙うことは麻雀の醍醐味の一つ。手なり・棒聴でなく、常に「役」を念頭において打つことの面白さは万人の認める所。だがそれを実践しない打ち手も世の中には多い。

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役を志向する

役を志向する

役がすべてじゃないけど…

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うん、間違っちゃいない、「志向」だよな、「志向」。
思考して指向して試行して施工できたら至高の喜びってな感じだけど、アタキは役を志向するタイプの打ち手だし、そういう嗜好があるのは前々から自分で気付いてた。 どんな大風呂敷を敷こうとも、この私行はアタキ自身のパーソナリティなんだもの。
『役作り、命』なんです(歯垢や四光とは何の関係もない)。

一萬二萬三萬一筒二筒三筒一索三索五索七索八索九索九索九索 (ドラ八筒

この牌姿で五索を切るのに躊躇する奴はそう多くない。
アタキなら、この形の遥か前、例えば第一打に叩っ切ってるはずだ。
ところが、次の形なら少しは考える奴がいそうだ。

一萬二萬三萬一筒二筒三筒一索三索四索七索八索九索九索九索 (ドラ五索

おいおい、なんてナサケない。
ここで一索を外したら、麻雀の神様に怒られるだろうが!

一萬二萬三萬一筒二筒三筒一索三索四索七索八索九索九索九索 (ドラ九索

何、考えてるんだ!
点数じゃネエんだよ、達ッつぁん。
この手は、両面聴だとか、満貫だとか、そんな事ぁ、関係ネエンダ。 これは、純全三色ってー手なんだ。
チャンタって役が効率悪い役だろうが何だろうが、ここまで育った手をピンフに限定してしまうのは、それはあまりに失礼、というか、無礼というか、なんだか違うって感じ。
効率悪い役だからこそ、とまで言うつもりはないけど、麻雀の面白さの一つはやっぱ『役を作ること』『役を目指すこと』なんじゃないか。

ドンジャラやポンジャンじゃないんだから、ただ和了りの回数を競うことが目的でないのは明白。 いくらの手を誰から和了ったか、ってーのが勝敗を決するわけで、一般的には役の無い手よりも、高い役を仕上げることの方が困難な状況なわけで、そんな困難を克服した報酬として高い点数を貰えるシステムになってるわけだ。
役の困難さと点数とは決してバランスいいとは言えないけれど、実の所、点数なんて無関係であっても役を目指すことの楽しみは誰にだって理解できる類いのものの筈。

二萬三萬四萬一筒二筒三筒三索四索七索八索九索九索九索

この聴牌形で、四筒をツモ切りする奴はいないだろうけど、一萬をツモ切りする奴はたくさんいそうだ。

例が簡単すぎて面白くないか。
以下の牌姿でツモ切りする奴は、基本的には、役を志向しない打ち手だと言える。

一萬一萬一萬二萬三萬二筒三筒五索六索七索中中中  ツモ八索
一萬一萬一萬二萬三萬三筒三筒五索六索七索中中中  ツモ三萬
一萬一萬一萬二萬三筒三筒三筒五索六索七索中中中  ツモ五索
一萬一萬一萬二萬二萬二筒三筒二索三索四索中中中  ツモ三萬
一索一索一索二索三索四索四索六索六索六索七索八索九索  ツモ九索
一索一索二索二索三索三索六索七索八索八索八索發發  ツモ四索
一索一索二索三索四索六索七索八索八索八索發發發  ツモ九索
一索一索二索三索四索七索七索八索八索八索發發發  ツモ三索

うん、確かに当たり前すぎて面白くない。ごめん。
では、次の例でのツモ切りも馬鹿モノの仕業だというアタキの放言はいかがだろう。

一萬二萬八萬三筒五筒一索二索三索六索八索八索西白  ツモ發
一萬二萬三萬三萬四萬七萬八萬九萬二筒三筒四筒二索二索  ツモ二索

うん、まだまだ当然の話か(笑)。
上の手で、發二索をツモ切りする打ち手にとっては、「役なんて、ただの結果」「できればモウケ」なんだろうなぁと思う。

「役よりもスピード」という考えは、それなりに素敵だし、カックイイ。
アタキが困ったもんだと思うのは、役のことなんて考えナシの打ち手だ。 たぶん、奴らはアタキほどは麻雀を楽しんじゃいない。 たぶん、アタキほどは勝率が高くない(と信じているが、これには自信ナイ)。

だからこそ、役を目指す意志が必要なんだ。
麻雀の面白みの第一段階が四面子一雀頭を早く作ることだとすれば、第二段階の面白みは役を目指すことだ。 敵の手を看破したり、トップを取るための戦略などはそれよりももっと後の、そうたぶん、ずっと先の面白み。 勿論、そうした遠くの面白みが役を目指す面白みと相反するわけじゃない。

配牌七種からでも国士無双を狙うアタキはイキスギかもしれないけれど、十年以上も九種倒牌したことがないというアタキの言葉に頷いてくれる麻雀打ちは数多い。 八種もあって国士に向かわない打ち手を哀れと思い、九種で流すのを見ると「あぁ、勿体ないオバケが出るぞ」とブツブツ言ってるのも、傍から見るとどうだか、て感じだけど(笑)、つまりはなんだ、もっと役に神経を尖らせろ、って言いたいわけだ。

伍萬伍萬六萬六萬七萬四筒六筒六筒七筒八筒七索七索八索 ツモ伍萬 (ドラ六筒

ここで七索を外すN氏も、八索を切るAさんも、六萬に手をかけたアタキよりも上級のバランスのいい打ち手なのだが、彼らも役を志向しているのは明白だ。

彼ら上級者が、常に「スピード命!」を心掛けているわけでない事実は興味深い。
彼らはスピードと役を天秤にかけて尚、役を目指す局面があるのではなく、(役を目指すことは当然のこととして)スピードを重視すべき場面を的確に察知してその対処をしているのだろうと想像できる。

な~に、いくら「役を目指す」ったって、リーチをかけてしまえばそれまでなので、役をどこまで志向するかの問題は、どのタイミングでリーチをかけるかと別に語っても仕方ないのだけど、「最終形ならリーチ」「親なら愚形でもリーチ」、あるいはアタキのように「ドラ待ちならリーチ」、さらには「両面聴ならリーチ」など、まぁ色々なので、いずれ、別の機会で。

うみゅ~、何が言いたいんだか、ワケワカメ。
プロットは面白いのに、全体的には大失敗してしまいました。ごめん。

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