麻雀打ちの頁/雀のお宿

心地よい居場所としての雀荘についての考察。雀荘という空間はなぜこれほどの幸福感を万人に味あわせてくれるのだろう。極めて特異なある麻雀打ちの嗜好に基いて。

公開

雀荘マイラブ

雀荘マイラブ

何度も言おう「雀荘が好きだ」

「校庭が好きだ」という奴がいた。小学校や中学校の校庭だ。
奴にとっての校庭は、普通の人間が思う以上にかなりディープな場所で、聞くところによると『こ・う・て・い』という響きだけでも、うっとりしてしまうくらいに、大切な聖なる領域であるらしい。 ヘンな奴。

「台所が好き」「百貨店の屋上が好き」「馬場(競馬場)が好き」「(野球の)グランドが好き」「待ち合わせする時の本屋さんが好き」「映画館が好き」「湯舟の中が好き」「押し入れが好き」「NSビルの展望台が好き」「会社の役員専用の個室トイレの中が好き」「パチンコ屋が好き」
いろんな場所が好きないろんな奴がいるけど、アタキが好きなのは、もちろん雀荘。 うん、わざわざ改めて言うほどのことでもないな。
よくよく考えてみると、もしかしたらアタキは、麻雀をやることよりも、雀荘にいることの方が好きなのかもしれない。 「麻雀よりも雀荘が好き」、まさか…。
あれっ、なんだか、そんな気がしてきた。
『じゃ・ん・そ・う』
あれっ、うっとりしてきた自分がいるゼ。
とほ、ヘンな奴。

「映画を鑑ることも好きだけど、ウチで見たってつまらない、映画館で映画を鑑るのが好き」というのはなんとなく判る。
ウチのモニタが小さいからだとかの理由だけではない筈だ。 『映画を見る』ことだけでなく、『映画館に出かける』あるいは『映画館にいる』ことに惹かれているんだろう。
映画館には映画館独特のムードがあるし、暗がりの中にいる自分を意識できる場所なんてそんなにはなさそうだ。 勿論、大きなスクリーンやウチでは出せない音響も魅力なのかもしれない。
そんなこんな色んなことが相まって、彼女(彼)は「映画館で映画を鑑るのが好き」なんだ、きっと。
「麻雀よりも雀荘が好き」なアタキは、雀荘の何が好きなんだろう。
雀荘の何に魅かれているんだろう。

広告

雀荘という建築空間が好き

カラオケルームよりも広く、ボーリング場よりも狭いこの空間の大部分を占めているものは、全自動卓とその回りの四つの椅子とサイドテーブルの複数のセットで、少なくとも二組、多い場合には五十組、平均的には四~二十組の卓(と椅子とテーブル)のセットが一見すると雑然と、しかしそれなりに規則正しく並んでいる様には、他の接客サービス業の店内にはない独特の趣きを味わうことができる。
低いパーティションで囲まれている場合がたまにあるが、隣の卓で囲んでいる見知らぬ客とはその気があれば簡単に交流できるくらいの距離にあって、それを遮る物理的な要素は何もないのに決して親しくなることはないのも不思議と言えば不思議で、このような現象は、他の風俗営業店には絶対にはない。
規模は様々だが、必ずカウンターと呼ばれる、ホールとそれ以外を区切る仕切りがあるのは、日銭を扱うあらゆる他の店舗と同じだ。
「雀荘という建築空間が好き」絶対にそんな筈はない。

雀荘でやる麻雀のルールが好き

これはあるかもしれない。
アタキの知り合いに、あるクラブのルールが好きだ、という理由だけで、毎週金曜日の夜にJRで片道二時間かけて四つの県をまたいで、そのクラブに到着し着替えを近くのサウナのロッカーに入れて、日曜日の夜まで、そのクラブとサウナとで時間を過ごす奴がいるが、奴が言うにはこのルールの店が県内にあれば、こんな所まで来ない、らしいのだ。
しかし、奴みたいなのは、かなり特殊だろう。 少なくともアタキには当てはまらない。 そんなに楽しいルールなら、ウチでだってやれるもの。
それにアタキの場合は色んなルールの雀荘を巡っているし、そのルールの違いを味わうことが愉しみのような気もするです。

雀荘の接客サービスが好き

生まれて初めて入った、女性による接客をメインにしてアルコールを高く売る風営店では、トイレから戻る度に新しいオシボリを出してくれ、煙草に毎回ライターを点けてくれ、ヘブスモなアタキの灰皿もいつでもきれいで、こんなことはそうしたサービス業の基本の基本で、雀荘でも新しいオシボリが出されると嬉しいもんだし、煙草の煙りに四六時中あぶられている身としては、アツシボなんて欠かすわけにはいかないものだ。
「いらっしゃいませ」の一言が聞きたくて、雀荘に通う奴はいないとは思うが、挨拶もろくにできないメンバーしかいない雀荘には、やはり行きたくない。
サービスを受ける権利を有しているこちらは、『お客様』なわけで、そんなのにあまり縁がない(普段の生活で他人から大切な扱いを受けることがない)ような人で、なおかつ雀荘以外にそうした店にいくことがない場合には、充分に、雀荘が好きな理由の一つにもなるような気がするけど、そんな奴は数少ない。

見知らぬ人と麻雀するのが好き

知人以外の打ち手と麻雀できる環境は、ネット上でのゲームか、フリー雀荘くらいのものだ。
同じ麻雀でも、それ以外の付き合いのある友人や知人とやるよりは、麻雀以外に何の接点もない赤の他人と囲む方が楽しい、という気分は大いに賛同できる。
勝つと嬉しいし、負けると悔しいし、こんな喜怒哀楽みたいなものは、赤の他人に対する気持ちだと後腐れがないというか、平気で勝負できるという利点があるんだ。
それに世間のある程度の麻雀愛好家が、金銭を賭けて打つことを当たり前だと思っているので彼らとも囲みたい打ち手も必然的に、そうした環境での麻雀を強要されるわけで、そのように金銭の授受が伴う場合も、赤の他人の方が何かとスマートにスムースに物事が進むように思う。

雀荘で金銭を賭けてやるのが好き

前の項目と相通じるものがあるんだけど、知り合いとお金をやり取りするのが憚られるので、どうせなら見知らぬ人と、それもテラがちゃんと管理してくれてる環境で(おいおい、これじゃ、雀荘は管理賭博罪を適用されちまう)、健全にバクチを楽しみたい、ってな感じ。
バクチったって、そんなに大怪我するような額じゃなく、あくまでも他人に迷惑をかけない範囲での小市民的なちょっとしたスリルを伴う小バクチ。
どこの誰とも判らない『見知らぬ』人間を相手にしているということも、この小市民的なスリルを味わうのに一役買ってる部分があって、絶対に自分がなることがない『アウトロー』の世界に足を踏み入れたような錯覚を感じることもできる。
麻雀は賭けてやる必要は全然なくって、逆に賭けない方が面白いゲームだが、ギャンブルは成熟した大人の素敵な遊びだ。

雀荘にしか居れる場所がないので、取りあえず好き

主婦と呼ばれる人達以外の多くの人間は、職場(学校)と寝床にいる以外は、どこにいるのも自由なのが普通だが、雀荘以外の居場所がないので、仕方なく雀荘が好き、なんて奴は本当にいるのだろうか。
どこにいようにも雀荘以外の場所を知らない、もしくは生理的に雀荘以外の場所にいることができない、雀荘以外の場所にいるとアレルギーが起きる、医者にいつも雀荘にいるように強く言われている、雀荘にい続けることを条件に高額の生命保険に入っている、牌を持っていないと手の震えが止まらない、こんな奴はいない。

雀荘に集まる人々が好き

『浮世床』や『浮世風呂』のようなコミュニティとしての一面を、平成のフリー雀荘に求めることはそんなにおかしなことじゃない。
ムラ社会に見られるような「関わりの濃い」関係でなく、その普段の生活とは切り離された空間でのしばしの絡がりの中に、些細な情を交わし合う一時の付き合い。 アルコールがメインでないので、愚痴や人生相談なんてーのとは離れていられる利点もあるし、一応の目的(『麻雀』)も明確な分だけ、その空間の中での他人との関係がどんなに薄情であっても後ろめたさを感じる必要もない。
初対面の赤の他人と何かの感情を交わし合う可能性のある場としては、ゴルフ場やゲームセンターの中にも一部は存在するけど、今の時代、フリー雀荘が一番なんじゃないかな。
これが高じると常連が幅をきかす、トンデモなクラブになる可能性があるのがチト問題だけど。

メンバーの誰それが(個人的に)好き

このメンバーは従業員のこと。
キャバジャンなんかでは、アリかな。

その他にも…

  • テンリーダーでやるのが好き
  • 待ち席に置いてある『天』が読みかけなので、取りあえず好き
  • 出前のカツ丼が好き
  • 特製のお汁粉が好き(実話)
  • 最新刊の『proマージャン』が読めるので好き
  • トイレのウォシュレットのスイング感が好き
  • 歯ブラシやヒゲそりが置いてあるので、サウナよりも安上がりで好き
  • その他

まぁ、どれか一つの理由にしぼるのは困難なことで、あんなことやこんなことやそんなことがゼ~ンブ、微妙にブレンドしてあって、それで雀荘が好きなんだろうけど、ただ一つはっきりしていることは、雀荘以外にそれよりも気持ちイイ場所を知らない、少なくとも世の中の雀荘以外の場所では、雀荘ほどは落ち着いていられない気分なんだろうなぁと思う。
うん、他人事じゃない。
アタキが自動卓をウチに用意したのは、知人を呼んで麻雀したいわけじゃなくって、実はウチを雀荘化したかったんだ、たぶん。
…、やっぱ、ヘンな奴。

…軽~く、流してみました(^_^;)

広告

ピックアップ頁