麻雀打ちの頁/雀のお宿

孤軍奮闘する麻雀荘のオーナーとその変遷。東京都新宿区荒木町の記憶。

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緩い坂道の二階

緩い坂道の二階

荒木町

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 若い付き人の荒気た声を制するように初老の男は
「いいから、いいから」
 と言い、出入り口の方に向かった。
「誰の許可貰って商売してんのかワカってんのォ」
 捨て台詞を残して、一見してその筋だとわかる若いパンチパーマの男と初老の男が出ていってもたらされたバツの悪い静寂はほんの十五分程度しか続かなかった。
 ドカドカと六、七人の猛者がクラブに入ってきた。
「責任者はどちらですゥ?」
 イヤな展開だが私は対岸の火事と決め込んで知らぬ振りで打ち続けた。

 新宿とはいっても歌舞伎町よりも四ッ谷に近い、古くからの小料理屋が立ち並ぶその通りの製氷店の二階のクラブYに初めて入ったのは、セット客としてだった。
 外苑通りと新宿通りとを斜めに絡ぐ百メートル程度の緩い坂の通りには、昔からの面影が残されている。居酒屋、一膳飯屋、中華専門店、寿司屋、ショットバーなどが肩を寄せ合うようにして、そんな中にも古くからあるだろう麻雀クラブが数軒あり、テレビ局が近いせいもあって見たことのある顔が業界用語と思しき言葉使いで卓を囲んでいるのを何度か目にしたこともある。
 クラブYは元々セット専門の店だった。当時のオーナーは古いタイプの、しかも決してクラブを繁盛させることができないタイプの経営者だ。飲み屋で声をかけた東南アジア系の女性を複数、店に連れ込んで、かなりヤバイ商売も行っていたようだが麻雀客は誰も知らぬ振りだった。麻雀荘は体裁を整えるためだけにあったのかもしれない。私も何度か顔を腫らして階段の隅にもたれかかっている女性達を目撃したが、それでも麻雀客としての自分には何の被害もなく、どちらかというと愛想の良いオーナーには自分と同じ種類の胡散臭い匂いを感じていたせいもあって、一度近所のカウンターバーで見かけた時にはどちらからともなく会釈し、カラオケのマイクを交互にやり取りしたことがあるくらいには、はた目で見るとまあ親しい方だったのかもしれない。
 オーナーは話好きの人だった。もしかすると私に対してだけなのかもしれなかったが、打つつもりもなくただその前を通り過ぎるだけの私に、二階の窓から声を掛け、上がってくるように勧めるのだ。
 コーヒー煎れたばかりだから、というのがいつもの理由なのだが、彼の話はというといつも麻雀の規則についてだ。こんなことが起こったらどんな風に対処するのがイイのかだとか、こんな役は一般的だろうかだとか、私にも答えられないような質問をするのは何か勘違いしているのは明らかだったが、実はただ、そんなどうでもいい話をする話し相手が欲しいだけのことで、私の方はというと充分な時間を持て余しており、麻雀荘のオーナーという肩書きだけでも充分に会話を楽しめる相手なのは勿論だった。
「ココ、手放そうと思うんだけど」
 儲かっていないことは誰の目にも明らかだったけど、その買い手がいるとは思えなかった。だけどすでにその時点で買い手は決まっていた。と言うよりも、売らないかとの打診が先にあったらしく、そしてその相手というのが、私も何度か見かけたことがある会社員だった。脱サラをしてクラブの経営を始めるつもりとのことで、何故こんな入れ物を買うのかというと、細君の実家が近所でトンカツ屋さんをしており、一人娘の旦那に店を継がせたい話が発端で何やら色々ともめた挙げ句の退社、そして自分で日銭商売という経緯らしい。
「こ綺麗にして、イチゲンの客が入りやすいクラブにしたい」
 雀荘でもイチゲンの、という言い方をするのかと不思議に思ったけど脱サラ君の夢や希望は理解できる。オーナーが店を出て、私もそこへ行くことはなくなった。

 三日間の出張の最終日が週末にかかったのをいいことに、四年ぶりに上がった二階のクラブは確かに生まれ変わっていたようだ。
 店の名前は変わっていないが、踊り場からも中の活気が伺いしれるし、ドアを開けた途端に従業員の快活な挨拶が迎えてくれる。ピンのワンスリーで、更にトップに千円ずつの祝儀がプラスされる仕組み。場代はトップ者が千円で他の三人が五百円、土地柄にしてはかなり遊びやすい。預りとして最初に取られる五千円があるのは、本当にイチゲンの客でも入りやすいクラブにできたせいかもしれない、と脱サラ君の言葉を思い出した。
 脱サラ君はいなかったが私はスグに卓に付くことができた。

 三連勝目を親の四暗刻で決めたところで対面の初老の男が
「兄さん、強いな」
 と言い、その物言いでその筋の人であることがはっきりとし、先程からずっとソファーで週刊誌を読んでいる若いパンチパーマが付き人であることも理解できた。
 三連勝の内、二回はその男がトビだったこともあって、私は次の半荘には毎回一色手ばかりを狙った。一色手の便利な所は、なかなか和了れないけれども、相手に勝負を降りている素振りを見せずにすむことだ。
 そして私の四連勝はなかったものの、やはりその男のトビで半荘を終えた途端に「帰るワ」と席を立った所に、メンバーがかけた一言がまずかった。
「これは戻り分です」
 と言って預りの金を渡したのだ。
 ワシが負けたから渡すのか、負け分はこんなモンじゃないぞ。
「いえ、お車代にでも」
 ばかなメンバーだ。初老の男は預りというシステムを理解していないだけのことなのに、よけいに話をややこしくしてしまった。ヘタな気遣いこそ、トラブルの元なのだ。
 案の定、カッときたらしく、メンバーの肩を少し小付く形になった。カッときたのは負けたからではなく、メンバーが意味不明のことを口にし、そのやり取りを黙って注視している他の客への恥ずかしさのせいだ。
「警察を呼びますヨ!」
 あちゃ~、最悪。別のメンバーが声を出した所で、パンチパーマが立ち上がり、件のメンバーの顔を殴った。
 二人が出ていった後に組員らしき六、七人がひとしきりメンバー全員に悪態を付いて大声を出し未使用の卓を殴り付けた。そんなやり取りの間も客達は黙々と打ち続けていたが、さすがにコーヒーやウーロン家の注文、場代の精算のためにメンバーに声を掛けることは憚られた。

 まさかこんな安いレートの雀荘で暴力沙汰に出逢うとは思わなかったが、考えてみると大きな場所ででもこんな場面を見たことがない。
 脱サラ君が店にやってきたのは、ほとぼりが冷めた頃だったが、私とちょっと目が合った後、皆さん御迷惑をおかけしました、と店に残っている客全員に頭を下げた。
 さっきから店の近くにいたのはすぐにそうとしれた。
 がんばっているようで、少し嬉しかった。

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