麻雀打ちの頁/雀のお宿

勝ち続けた。陳が噛んでからの七週間で立った場が五回、そのすべてで私は圧勝した。もう一勝すれば私と武田の持ち分が二十億を超えるはずだ…。

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5. All of me

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わたしのすべてを

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牌を抱いて眠れ-5

 勝ち続けた。
 陳が噛んでからの七週間で立った場が五回、そのすべてで私は圧勝した。
 もう一勝すれば私と武田の持ち分が二十億を超えるはずだ。最高レベルの場に手が届くところまできた。今のこの国にそれ以上の場は存在しない。
 良い馬を見つけた。
 陳が手配師仲間と話している内容が耳に入った。しかし、武田ならば私をたんなる馬とは思っていないはずだ。陳と武田の違い。
 陳の本心は判らない。そう口にすることで私や武田との距離を担保しておこうと陳なりの防衛本能が働いているのかも知れない。

 武田と会うことになっているバーには先に入った。
 古いスタンダードナンバーをチャールストン風のピアノにアレンジした曲が妙に軽々しく、暗い店内とも不愛想なバーテンとも釣り合っていない。
 曲は「私のすべてを」。
 すべてとは何だ。勝ち続けることか、金を増やすことか。
 バーボンを一口で飲み干した。テネシーウイスキーではない。時間をかけてコーンの醗酵具合を味わう飲み物ではないのだ。
 カウンターに腰つけるとすぐに武田が切り出した。
「噂が出てる。本物のウルフが現れた、てな」
 私以外にも誰かいるのか。
「ああ、そいつもこっちへ来てから半年、負け知らずらしい」
 ハバナ産の甘い煙を漂わせながら武田は続けた。
「まだ若い男で、場の手牌は女がやってるそうだ」
 何気なく言った後で、武田は私の何かをはかるように黙り込んだ。
 不二子なのか。
 私も国産の煙草に火を付けたが、武田の煙りには抗うことはできない。
「バックは誰も把握しちゃいないそうだ。かなり周到に立ち回っているみたいだな、その女は」
 不二子だ。間違いない。武田が言い切らないのは、不二子だと確信しているからだ。
 私のすべてを。
 忘れていたわけじゃない。私は不二子に再開することだけをすべての拠り所として、麻雀を打ってきた。


 不二子と別れた後、旅を打っていた時期があった。
 麻雀を打つことを目的として始めた旅の筈が、どの場所でも麻雀以外の博打を打つことの方が多かった。
 私や長嶺の世代は、本筋の闇の世界とは何の関わりもない打ち手がほとんどだが、昔からある大きな連盟に所属している先輩プロの何人かは裏の世界と通じており、彼らの何人かが麻雀界を引退したと思われていた私に声をかけてきた。彼らが心底から麻雀界の発展を願っていることは疑いようのない事実だが、その実人生はというとダーティな世界との関わりを拒否できない弱さや決して拭い去ることのできないしがらみの中にあった。
 時間潰しのように始まったカードが、チンチロや本引きに移行してからは誰も麻雀卓に付こうともしない。
 博打としての面白みに欠ける最たるものが麻雀なのだ。
 どこへの旅でも、牌に触れる時間は決して長くはなかった。

「場」のほとんどは偶然に立つものだが、組織がバックにある常設の場は、どの地方へ行っても同レベルの場のそれぞれが毎週決められた曜日に立っていた。ターゲットの客を食い合わないための知恵。
 一つの場で受けた廻銭は次の曜日までに埋め合わせなければならないが、これは無利子だ。用立てできない場合にはテラを仕切る組織と繋がりのある金融機関から借り受けることになり、良い客にならばいくらでもタネはいくらでも放り投げられる。
 その客の負債がある一線を超える時期を見誤らない眼力は、組織の技術でもあるが、これが相当程度の大きな組織になると客の一線を無視することができる。そうした組織は他の小さな組織の思惑までも無視することができるだけでなく、客の生活や人生さえも自由にできるノウハウを持っているのが普通だからだ。
 組織と組織の繋がりや、誰もが自分だけは周囲とは違うと勘違いしてしまう悲しさや、失踪してしまう人間のしたたかさを旅を通じて知ることができた。どこの場にいても懐かしさを感じることができる私がいた。


 陳に誘われた家族向けの高級マンションの一室には、すぐにそれと判る組織系の連中が数多く陣取っていた。玄関で私をいぶかしそうに睨み付けてきた少年には眉毛がない。
 煙ったリビングの中央には直径一メートルほどのスリ鉢があり、その廻りに六人の男達が座り込んでいる。
 タブサイ賭博。
 スリ鉢の縁には物置きにできる台が組み込んであり、各人の前には札束が乗せられているが、それが賭場として大きいのか小さいのか私には判断できなかった。
「タブはコチではメツラしいでしょう」
 珍しいも何も、私は話に聞いたことがあるだけで、こうした本格的な場に足を踏み入れたのは初めてなのだ。
 チンチロに似たサイコロ賭博で、親が出した目によって勝負が決するという単純なものだが、サイコロを投げる際の親の発声の具合によって対戦者が決定するゲームだ。全員と勝負する場合には「ミナ(=皆)!」と声を掛けることから、地方によっては「ミナサイ」とも呼ばれている。
 玄関脇の洗面所からかすかに聞こえているのは警察無線のようだ。陳がなぜ、私をここに連れてきたのか理解できないでいた。

 鉢の廻りの席には付かずに三十分程眺めていたら、場の流れが見えてきた。
 金額的に一番受かっているのはテラを仕切っている組織と何らかの関係がある大男だが、親を取らずに張り方だけで九割近く受かっている二十代の男がうまく立ち回って、場を引っ張っているのは明らかだった。その若者に指された親はすぐにバててしまい、そうでない親だけが受かっている状態なのだ。
「見せたかったのは、あのコ。似てるネ、どこか」
 あの若者を見せるために私をここへ連れてきた。陳は笑いながら言ったが、何が私に似ているのか。
 立ち上がったら私よりも身長がありそうなその細みの若者の表情には、端正な顔だちが痛々しく感じられるほどのひたむきさが見てとれた。受かっても受かっても勝負を止めない。毎回、真剣な表情で、全員の手元を注視しているのだ。
 初めてその若者が親を取ることになった。
 一一三、五五二と連敗した後で、元金を倍に積み上げて「ミナ」。
 誰も手元の札束に手を置く隙もなかったが、サイコロの目は一二三の親の倍付け。
 今度はさらに今までのすべての勝ち金をゆっくりと積み上げたが、全員が納得の全勝負だった。
 二二四で止まった三つのサイコロは、それまでの惨敗を取りかえしただけでなく、それまで若者が貯えてきた勝ち金をほぼ倍にしてしまった。
 大男が金を台の上に置いたが、若者は、流させていただきますと目礼をして、札束をしまい込んだ。
 若者の親が受かったことが確定した瞬間だった。

 陳と私は遊ばすにその賭場を出た。
「俺はあんなに弱腰じゃない」
 陳が似ている、といった意味が、実は少しだけ判りかけてはいたのだが、私の口調はきついものだったかもしれない。
「さっきの若者、本気、見せてない。そんな、見せてないトコ、ウルフにそっくりね」
 あいつが本気を見せていないのではない。あの若者が隠しているものは確かにあるが、それは本気とは別物なのだ。
「イッショケンメイ、それはワカルケド、本気じゃない。タカラ、あなたと同じ」
 あの若者がタブで人を殺せるものか、そう言いたい気分もあったが黙っていた。
「本気でなくとも、勝ってくれれば、ワタシもトクも嬉しい。ケド、今度のショブ、今までと違う」
 要は勝ちさえすればいいのだ。
 今の私のすべては、麻雀の中にしかない。麻雀こそが私のすべてであり、それ以外のことは、私という麻雀打ちとはすべて無縁のものだ。


 その日が来た。
 もう一人のウルフ、私が現れるまでウルフと呼ばれていた男との戦いの場。
「女は場には寄り付かないそうだ」
 武田は残念そうに言ったが、私は応えなかった。
 平日の深夜、近くの盛り場の喧噪とは無縁の高層マンションの一室に通された武田と私の二人は、部屋の中の階段を上がり、さらにそこのベランダを歩かされ隣の部屋に入った。
 陳の笑い声。大陸の言葉。少し暗い屋内には麝香がただよっている。
 若い男。
 この間のタブの男だった。
 こいつがと思った途端に、体中の血液の温度が上昇した。
 陳が私に似ているといった男、ウルフと呼ばれていた男、そして、不二子の今の男。
 武田が私の耳もとで何か言った。
 聞こえない。
 こいつが、不二子の男。
 私のすべてを今からこの卓にあらわにするだけだ。それは本気であるとか手を抜かないということじゃない。何もかもを出し切るだけだ。
 若造、麻雀で人が死ぬことがあるってことを教えてやるよ。

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