麻雀打ちの頁/雀のお宿

サークル同人誌「麻雀の未来」創刊号のレビュー。麻雀というゲームをある意味、側面から捉えた記事の数々からは執筆者達の情熱がほとばしり、読む者の心を熱くする。

公開

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麻雀の未来

同人誌

出逢いの発端

 謎の麻雀サークル「S&C」が発行する同人誌「麻雀の未来」が届いたのは、編集人である、いたる氏からの、2号への原稿依頼に快諾してしばらく経った頃だった。
 パラパラとめくって、何日か放っておいたことに、特別な理由はない。
 記事の著作者の中には、浅見了氏や草場純氏、メールでやり取りしたことのある izumick氏、他にもネットを通じて知った名前があった。
 そして、読み始めたら一気だった。
 不思議な読後感があった。新鮮な気持ちになった。その「麻雀の未来」と題された、それほど厚くもない冊子からは何かがあふれ出していた。ほとばしるものが間違いなくあった。

 麻雀に関する著作物というと、一般には次の5つに分類できる。
 創作物/戦術書/実践記/入門書/その他、の5つだ。創作物とは劇画や小説が中心で、実践記にはレポートもあるし、入門書の中にはハウツーものも含まれる。
 で、この「麻雀の未来」はというと、「その他」である。
 あえて言えば「麻雀というゲーム(あるいは麻雀という文化)と、それを取り巻く環境についての分析&考察集」ということか。
 掲載された、複数の執筆者による文章のどれもが、麻雀を単に麻雀として一意的に捉えるだけでなく、その向こうにあったり影に隠れていたり取り囲んでいたりする何かをメタ的に表現している。その事物を真正面から描くのでなく、事物の外縁を描くことで、本質を浮き彫りにしようとする、そういった手法でこそ初めて顕わにできる側面を、我が愛する「麻雀」は持っていたのだということを再認識させられた。

 こうした内容の記述(「その他」にしか分類しようのない著述)は実は誰もが以前から目にしていた。漫画雑誌のすきま記事や、週刊誌等における特集、そして多くの麻雀専門のホームページにおける個人的視点からのコラム、麻雀ブログのほとんどで、である。
 そして、私自身が管理するホームページ「雀のお宿」の中のコンテンツのある部分も「その他」としか分類しようのないもので、個人的な思いをただ漫然と垂れ流し的に文章にしてしまうと、どうしても「その他」になってしまうことがよくあり、一般的なコラムだとかエッセイだとかは、それらの中でもいくらか上質なものに冠せられるカテゴリーだと言える。
 ところが、この「麻雀の未来」を構成する多くの文章に共通する特性は、個人の思いを超えた(明らかに万人の共感を呼ぶことを意識的に前提とした、言い換えると普遍性や一般性を意識した)スタンスでの視点があるということだ。それが良いとか悪いとか、面白いとかそうでないということでなく、そうしたスタンスを維持することによってのみ展開できる理論や考察というものが間違いなく存在し、ある意味、個人的垂れ流し文章にはない「肩肘を張った」硬派な読み物として、麻雀愛好者には垂涎もののコンテンツが多く、そこからほとばしる執筆者達の情熱が、読む者に感動を与えたのだと思える。
 少なくとも私はふるえた。

コンテンツ

麻雀マンガ30年史(前編)

 麻雀マンガの歴史を客観的かつ丁寧に、そして冷静なスタンスで著した、業界人 izumick氏による労作であり、この冊子の一番のキモの記事。
 この文章を目にすることができただけで、この冊子の読者は幸福である。少なくとも私は何とも言えない満足感に浸ることができた。
 続いての記事「この麻雀マンガは読んどけ! 20册」における各作品への評論と合わせて読むと、著者の麻雀マンガに対する「手放しの愛」が垣間見える。
 同人誌でこそ成立したとも言える評論だが、個人的には著者の持つ「歴史」を文章以外のコンテンツ(例えば、ウェブページ等)として、もっと多くの人々が再利用可能な形にできないものかなぁ、などと思ってしまう。
 蛇足だが、氏は今では業界から足を洗い、地元である福岡(もちろん私の地元でもある)に居を構え、私とはサンマ仲間である。

ある奇人の疑心

 雀鬼(桜井章一)の呪縛から解き放たれて、デジタルな雀士となったハンバート氏の個人的な変ぼうの記録。
 いわゆる「雀鬼流」の信者が、成長する過程の一つとして(結果的にではあるが)デジタル的な打ち方を身に付けた、という流れはもっともなものではあるが、氏が最後に述べる「強くなりたいと思ったら、疑え」という言葉は、氏の雀力を知る私にはとても重いものだ。
「デジタルとは何かと問われたら、私は信じないことだと答える」
 何かを信じて、何かにすがりついていきたい弱い心を克服してこその力強い言葉だ。

その他

 麻雀の戦術面でのオシヒキを数値的モデルとして表現しようとする試み(の予告?)「麻雀の樹 予告編(ぴゅー太郎氏)」は、ハードな内容で読みごたえがある。
 私には内容が理解できない部分があったが、そんなことはドーデモイイ。ただ、そうした研究が素晴らしいことは間違いないことだから。

 浅見了氏による自身の半自叙伝「麻雀学事始」は楽しかった。
 日本一の麻雀オタク(失礼!)が誕生して、今に至る経過は興味深く、またワクワクしながら一気に読める。
 氏の研究成果は自身のホームページ「麻雀祭都」で目にすることができるが、この記事ではそうした成果のバックボーンを知ることができる。

 他にも、ヒロタシ氏による「千式麻雀の誕生」、草場純氏の「麻雀はギャンブルゲームではない」など、ネットでは読めない記事が複数ある。

託された未来

 編集人である、いたる氏は後記の中で「編集役たる私が最初に意図したのは、麻雀に付随する様々な文化現象に斬り込むことだった」と述べている。
 我々を取り巻く環境の中における麻雀は、ただのゲームと呼ぶにはあまりにも芳醇で深遠で、その文化的側面、あるいは庶民史の中における位置付け等を無視してその本質を語ることはできない。手前味噌ではあるが、「雀のお宿」の存在価値もそんな所と無縁ではない。
 氏が計画している「戦術史」「小説史」「Vシネマ史」といったジャンル史、中麻の紹介、マンガの詳細なレビューなどには大いに期待するところだ。
 しかしながらそうした継続性を必要とされるコンテンツが同人誌という制約(に思えてならない)の中でどこまで実現できるのか不安でもある。
 要は、数多くの読者を得て、出版コストを低く押さえることができたら何の問題もないのだろうけど。

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