テレビに出ている人
初めてその顔を見たのは、大橋巨泉が司会していた深夜番組11PM内のイレブン麻雀での解説者としてだった。
アタキがメンバーとしてアルバイトしていた雀荘は、福岡市内でも(当時は)かなりディープな地域にあった。
組織の構成員だけでなく、組織を束ねる立場の「オヤジさん」と呼ばれる方々も多く客として遊びに来るクラブだった。
クラブのすぐ近所にある別のブーマン荘は、アルバイトしていない時間に最も長く居続けた場所で、そこのメンバーや常連客から小島武夫の噂を聞くことがあった。
噂といっても10年前の過去のことで特別に面白い話ではない。
だけど、今テレビに出ている人が以前にこんなことをやっただとか、こんな奴だったなんてことは、客の中で一番歳若いアタキに聞かせるには手頃な話題だ。
感心したふりをしながら耳を傾けていたような気がする。
アルバイトしていたクラブの客の中の一人「Fのオヤジさん」は、小島武夫を客としていた競艇ノミ屋の元締めだった。
色々とあったらしい。
金融業を表看板にしているAさんは、手本引きの場で一緒に札を引いたと言っていた。
聞いた内容のどこまでが真実なのか、どれくらいの誇張がなされていたのかはわからないが、アタキはそうした話を聞きながら、テレビに出ている人に対して勝手な親近感を抱くようになっていた。
「兄貴が来とるけん、顔ば出しんしゃい」
この自叙伝で「最も麻雀が強い」と語られている、氏の実弟のSさんから電話を頂いたのは、「百貫雀」というハンドルを使うようになった頃だ。
色んな噂を聞いた時から、既に10年以上経っていた。
Sさんが経営する雀荘では「百貫さん」で通しており、アタキが賭けない麻雀大会を仲間達とやっているのを知っていたSさんが誘ってくれたのだ。
雀のお宿の最も古いコンテンツである「マナーの色々」は、サイトを起ち上げる以前に、Sさんに紙ベースでチェックしてもらっている。
別の雀荘の大会で、氏の顔も手捌きも見知ってはいたが、実際に会って話をするのは初めてだったので緊張もしていたと思う。
氏は自ら、色んな話題を語ってくれた。
「今、インターネットで流行っている麻雀ゲームは、ずっと前からあったらしいね」
「ぼくは、浅見のことは(麻雀ハカセ浅見了氏のこと)、彼が学生の頃から知ってるんだよ」
「今、博多には何軒くらいブー麻雀の店は残っているの」
標準語の中に残っている博多訛りのイントネーションも嬉しかった。
氏の中に垣間見えた「よかオイさん」という印象はアタキの心にずっと残った。
このページを読んでいる多くの方にはうまく伝わらないとは思うが、「アタキ」という一人称は、氏のような人格にこそ最も相応しいものだ。
「アタキは千点、二千点のごたるこまか手では和了りまっしぇん」
完璧な博多弁である。
以前テレビに出ていた人は、アタキの中で少しだけ身近になっていた。
清水一行の天国野郎も、かわぐちかいじのはっぽうやぶれも楽しく読んだが、西原理恵子が描いた「タケちゃん」のイメージが個人的には好きだ。
書籍のコピーには異議あり、だけど…
その小島武夫の自叙伝がろくでなし。
「最初で最後の衝撃自叙伝!絶対負けない男の生きざまに括目せよ!」なんてコピーの帯だが、絶対負けないなんてわけはないし、アタキにしたら衝撃でもなかった。
ただ、面白かった。
とにかく、楽しく、悲しく、懐かしく、わくわくしながら一気に読んだ。
読み返すと、また寂しくもあり、発見もあり、本当にろくでなしだよなぁなんて思いながらも、涙ぐみそうになったりもした。
自叙伝だから、ここまで書けた。この年齢になったから、ここまで書けた。
いや、細かいことは考えてないんだ、きっと。
プロローグとエピローグを別にすると、全体は7つの章で、かなりよくまとめられている。
第一章の博多時代のエピソードのいたるところに懐かしい地名とあの頃の(といってもアタキも直接は知らない)雰囲気が散りばめられている。
第二章は、酒とセックスと博打の話。「のむ、うつ、かう」まんまの生き様。
酒の嗜み方としても、女性の口説き方としても、決して褒められたやり方じゃないよ。でもこれが、小島武夫なんだ。
第三章は、上京してから麻雀プロ第一号として有名になるまで。
阿佐田哲也との出会い、特に藤原道場での対戦では、今まで一度も語られることのなかった氏のドキドキ感、高揚感が伝わってきた。
第四章で述べられているのは、無冠の帝王と呼ばれた頃の話。桜井章一のことも。まぁ、そんなものだろうなぁ、と思う次第。
第五章から第7章までは、それ以降の人生、現在までにいたる過程。
独自の人生観、麻雀観、家庭観、生き様について語られているが、元々は一つの章だったのではないか(アタキの勝手な想像)。
阿佐田哲也、古川凱章をはじめ、多くの人達とのエピソードの中に、「八百長疑惑」の真相や「最高位戦の見逃し事件」についての見解もある。
それにしても「ろくでなし」。
特に女性や家族に対して、そのどうしようもないほどの、あきれるほどのイイカゲンさは救いようがないように思える。
「面白く生きたい」
「どうにかなるさ」
こう考えてきた結果だと本人は言っているが、普通はそう考え続けることはできないものだろう。
不安になったり、他人の涙に心を動かされたり、一念奮起したりするのが一般的だろうに。
いや、氏自身もそうしたことが皆無とは言えないだろうけど、たぶん、それが他の人より薄っぺらいのかもな、とも思ってしまう。
「筋だけは通してきた」なんて言っても、それもかなり怪しい。
だけど、こうして生きてこられたのだから、これはスゴイことだ。
ここまで生きてきた。この一点で、バクチ打ちとしての小島武夫の収支はプラスに違いない。
考えさせられる言葉の数々
本書にはさまざまな珠玉の言葉を見つけることができる。
こうして生きてきた、そして今も生きている人の言葉だからだろうか。どれも重たい。
「酒にはとことん呑まれ、とことん溺れたほうがいい」
「カネを稼ぐのは大事なことだが、それ以上にカネを遣うことのほうが重要なのである」
「セックスと麻雀は似ている」
「(現代と違い)自身の金欲のために身を落とす女など、誰一人いなかった」
「俺はカネが好きなのではない。カネを賭けることがたまらなく好きなのだ」
「”逃げ癖”をつけてはいけない」
「(妻と子供二人を捨てて、自分のことを)およそ血が通っているとは思えない鬼の所業」
「博打で大敗しても、悲観したことは一度もない/博打でカネを失うのは当たり前」
「信念に基づいて行動したなら、笑って死ねるだろう」
「(雀鬼会、桜井章一について)阿佐田さんのように人が勝手に崇める分には構わないが、自ら神になろうとしてはいけない」
「三流が一流へと立ち向かう姿に、心を惹きつけられる」
「わざわざ手を開いてテンパイ料をもらったって、カッコよくもなんともない」
「俺は自分の美学に従って、博打麻雀を捨てたのだ」
小島武夫という生き方
「麻雀プロ」というのは、残念なことに(今の所)職業とは言えないのが現状だろう。
カッコ良く言えば、職業ではなく、生き方、であるように思う。
そして、「小島武夫」も一人の人間であるよりも、生き方と呼んだ方がいいかもしれない。
その破天荒さから、小林信彦の天才 横山やすしや、団鬼六の真剣師 小池重明と本書とが比べられることがあるようだが、
その2冊よりもこのろくでなしの方に客観性を感じてしまったのはなぜだろう。
「ろくでなし」という言い方を本人がするのだから、本来なら「照れ」や「卑下」といった含みがあるはずなのだけれど、
アタキには、氏自身が心から「ろくでなし」だと思っているように思えた。
そして、その「ろくでなし」である自分を、それほど悔いてもいないことも充分に伝わってくる。
それこそが小島武夫という生き方なんだろう。
横山やすしも小池重明も死んでしまったが、氏は健在である。
麻雀界(というのが本当にあるのかどうか知らないけれど、あるとして、その中)で、唯一、生きている「先生」と呼ばれる氏の自叙伝は、
アタキにとって大切な本の一つになった。