麻雀打ちの頁/雀のお宿

初心者が麻雀を一から覚えるための教育プログラムはどうあるべきか、についての考察。四枚マージャンからスタートする極めて常識的な教育プログラム。

公開

初心者のための

初心者のための

一番のキモは麻雀フレバー

広告

もちろん、麻雀初心者のための、って意味だ。
一般的に麻雀初心者は「かたぎの衆」と呼ばれる。
というのは大嘘で、アタキが勝手に言ってるだけだ。
んで、かたぎの衆に麻雀を教える、ということについて考えてみる。
アタキは実はあんまり麻雀覚え立ての打ち手とは一緒に囲みたくないのだけど、中には一緒に囲んでても楽しい初心者がいる(かなり、マレだけど)。 彼と彼以外のかたぎの衆との違いは何なのか、他の多くの初心者と囲むのが嫌いなアタキが何故、彼と囲むのは苦にならないのか、考えてみると面白そうだ。

かたぎの衆が麻雀を覚えるのに、アタキがベストだろうと思うフローは、
 ・手牌変化を面白いと思う
 ・聴牌形のバリエーションを面白いと思う
 ・平和感覚を身に付ける
 ・一定の摸打スピードを身に付ける
 ・自分は麻雀に向いていると勘違いする
 ・代表的な四つの役を覚える
 ・ゲームの進行方法を覚える
 ・基本的なマナーを知る
 ・その他の役や点数計算の概要を知る
 ・基本的でないマナーを知る
こんなところではないか。
もちろんこの後に、正確な点数計算や、捨て牌の読みや、トップを取るための戦略や、その他の戦術のあれこれを知ることで、初心者を脱するのだろうけど、とにかく最初の頃に、上に掲げたステージをクリアしておくことは、その後に続くであろう、長い長い麻雀ライフにきっと素敵な影響を与えるだろうと思うのだ。
逆に言えば、上の内容を初心者の頃にすっ飛ばしてしまった(アタキも含めた)多くの打ち手は、何と無駄な時間を過ごしてしまったのだろうと思うわけで、そんな「ナキ」を入れないための画期的な、かたぎの衆のためのプログラムを考えてみたい。 って、実はもう考えてるから、こうしてアップしてるわけだ。

平成12年現在、世の中には初心者を対象にした教室風味の麻雀専門ウェブページがいくつか存在するけど、アタキにこんなことを考えるきっかけを与えてくれたそれらのページの制作者管理人の皆さんと、「四枚麻雀」を世界で最初にウェブで紹介した某うめ子さんに、このページを捧げる、であるであるである。


麻雀には「麻雀フレバー」がある。
初心者には何よりもまず先に、この麻雀フレバーを教える/伝える/習得させるべきだろう。
麻雀に限った話じゃない。 料理には「クッキングフレバー」が、釣りには「フィッシングフレバー」が、東映Vシネマには「Vシネマフレバー」というものが確かにあって、世の中のおよそありとあらゆる非生産的な行為のすべてについて、それのエッセンスを享受するための作法、心得を初心者の内に手に入れることができた人間は、そうでない人間よりもより深い所で、その行為に没頭することができ、またその楽しみを多く味わうことができる。
言葉は違うけど、ジャズで「スイング感」と呼ばれたり、茶道で「わび」なんて呼ばれるものは、それぞれの世界での「フレバー」なんである。
んで、麻雀フレバーって、一体何なんだ。
アタキの考えるに、麻雀フレバーの最たるモノは「手牌の変化を楽しむ」ことにあるのだろうと思える。
一つの牌をツモって来るたびに微妙に変化する自分の手牌を味わうことこそ、麻雀というゲームの本質的な面白みなのだろうと思うんである。
役作りよりも点数計算よりも牌の名前なんかよりも、まず最初に教えるべきは、「手牌が変化することの面白さ」。

んなわけで、麻雀教室の第一講議は「四枚麻雀」ということになるのはとても自然なことだ。
四枚麻雀とは、一つの雀頭と一つの面子を完成させることだけを目的とした、通常の麻雀のサブセットゲームなわけだけど、手牌が変化することの面白さはこれで充分味わうことができる。 そしてこの四枚麻雀に面白みを感じることができなかった人間がもしいるとすれば、それは麻雀には不向きな人だろうから、そういった人にそれ以上、麻雀を教える必要はなかろう。
四枚麻雀で使用する牌の種類に制限を設けている教室もあるけど(例えば、風牌と筒子だけのように)、個人的には最初から全部の牌、三十四種類を使って欲しいもんだ。 三十四種類の牌は初心者にとっても四枚麻雀にとっても、めちゃ多すぎる種類かもしれないけど、手牌に有効な牌をツモってくることはなかなかない、という厳しい現実は、最初の内にしっかり体得しておいてもいいだろうと思う。 「手牌の変化は面白いけれど、なかなか変化はしない」というのも実は、麻雀フレバーなんである。

四枚麻雀で、聴牌形のほとんどを覚えることになる。
麻雀で起こりうる聴牌形の約半分に相当し、実際の局面で発生する九割以上のパターンを把握した初心者は、ある意味では初心者を一歩、脱した打ち手と呼んでもよさそうだ。
単騎待ち、辺張/嵌張待ち、双ポン待ち、両面待ち、雀頭付きの両面待ち、ノベタン待ち、辺張/嵌張含みの変則二面待ち、変則三面待ち。 たった四枚で十種類もの聴牌形ができるわけで、これを初心者の内に完璧に身に付けた打ち手とそうでない打ち手の差は、たぶんスゴイはずだ。 だけど、たった四枚での話なので、全然、簡単なことでもあるのだ。
その延長として「七枚麻雀」や「十枚麻雀」といった講議も当然のように考えられるけど、まぁ、こんなのは軽くやってしまえばいい。 まだ、何の役も知らない段階で、必要以上に複雑な聴牌形を知ることには特に大きな意味はないだろうと思える。
ややこしい、と感じれば、無視したってかまわんことのように思う。


「四枚麻雀」を卒業した打ち手に次にやって欲しいのが「十一枚順子麻雀」である。
十一枚順子麻雀とは、四つの順子を作ることだけを目指す、これもサブセットゲームのことで、刻子を作ってはいけない、という特殊な制限が設けてあるのが大きな特徴だ。
十一枚順子麻雀の目的はいくつかあるが、「平和感覚の養成」と「一定の摸打スピードを維持」することが自然と身に付くのがスンゴイ点だ。
また、この十一枚順子麻雀では、自分の手だけを見た場合の正着の一手が比較的簡単に理解できるので、一応の確率論みたいなものも養える。 まぁ、確率的に優位な手を選択し続けたって、それがそのまま勝ちに絡がる、なんてことはないのだけど。
麻雀を何年もやってるのにも関わらず、摸打が遅い奴というのは、初心者の頃に、平和感覚を持つことがなかった打ち手である。 うん、今まで誰もこんなこと言ってないけど、たぶんそうだ。 そうに違いない。
初心者にとって、十一枚順子麻雀の面白さは、いっぱい牌を使うことと、スグに慣れてしまって、自分は麻雀の天才ではないか、と勘違いしてしまうことだ。
彼の勘違いは大事にしてあげたい類いのもので、麻雀打ちなら誰もが一度は経験するこの勘違いを、こんなに早い段階でやってしまった彼の未来は明るい。 少なくとも、次のステップに進むのを躊躇う理由は見当たらないので、マルなんである。

平和感覚を養成するためには、わざわざ「和了り」まで、この十一枚順子麻雀を続ける必要はないのではないか、という意見もありそうだ。
確かに目的だけ考えたら、聴牌時点でOKというのもなかなかスピーディーで素敵かな、とは思うが、個人的にはどっちでもかまわんように思う。 実践して都合がイイようにやったらよかろう。

で、次はようやく「十三枚麻雀」とワザワザことわるまでもなく、通常の枚数を使っての麻雀対戦に進むわけだけど、これも最初は、四つの順子を作ることを念頭にするのがイイだろう。
最終形が辺張だろうが嵌張だろうが、とにかく順子一歩手前であればOKだ。 双ポンは、ブッブー、だ。
何故、双ポンがブッブーなのかには大した意味はない。 最初に順子で、って決めただけのことだけど、あえて理由を付けるなら双ポンの選択は初心者には難しい、迷いを生じさせるパターンが多い、なんてところである。


さて、この辺りで、初心者が覚えたいはずの「用語」についてだ。
本来ならば自然に、つい、覚えてしまうのが一番賢いやり方なんだろうけども、こと麻雀に関しての初心者って、何故だかスグに専門用語が気になるらしくて、いつまでも放っておくとヘンな方向に行ってもいかんので、少しだけエサを与えておこう。
牌、山、河、ロン、ツモ、つもる、捨てる、和了る、聴牌、一向聴、雀頭、面子、待ち。
萬子、筒子、索子、数牌、字牌、風牌、三元牌。
理牌、倒牌、飜、役、点数、...、まぁ、思いつく限りテキトーに並べたけど、これくらい説明したら充分だろう。 中には「メンタンピンって何ですか」なんて聞いてくる初心者がいるかもしれないが、役の詳細を覚えるのはもっと後でもかまわん。

んでもって、「役」の存在。
いっぱい色んな役があるのは、初心者といえどウスウスは気付いているだろうが、まず教えるのは次の四つの役。
平和、断ヤオ九、七対子、国士無双。
これだけで充分であって、三色同順や一気通貫や一盃口はまだまだ早いし、対々和や混一色や全帯ヤオを覚えてしまうとそれらの役があまりに魅力的なものだから、そんなのばっか狙うようになっちまうので、隠しておかなくちゃいけない。
平和、断ヤオ九、七対子、国士無双の四つの役は、彼が初心者を卒業した後でも、意識的に狙わないとできにくい役なんである。 そして、平和と国士無双では実際の発生頻度は天と地ほどの開きはあるけど、役を作る困難さと役の大きさ(点数)との相対的な関係で言うと、「他の役よりもずっとお得」という点でとても大切な役でもある。
平和や断ヤオ九は理解できるが、何故、七対子と国士無双なんだ、と聞かれそうだ。
大切な役だから、という理由だけじゃダメか。 七対子と国士無双だけは、手牌で完成させる役の中ではかなり特殊なモノなので、これらが出来上がる感覚を知っておくことは大事なことだろうという気がするのだ。
七対子を狙う時はどういったタイミングか、九種もあって国士無双を狙わないのがどれくらい損なことか、ちょっと考えれば判りそうなことを知らない打ち手は世の中に溢れている。
うん、これ以上の理由は、別の放言ネタに取っておこう。

その他の役を覚えるのは、もっと後の話だろうけど、どういった順番でも大きな問題はない。
もちろんこれは、少なくとも初心者にとっては、という条件付きのことだ。


まだ点数計算できない初心者の彼だけど、ここまでくると一応、四人でやるゲームには参加できそうだ。
用語としてはまだ教えてなかった、局、半荘、場風、自風、流局、連荘、王牌、同順あたりの概念はちゃんと説明しなくちゃいけない。
だけど、ドラとかリーチとかは、おいおい、でかまわん。 たぶん。
チイとかポンとかカンとかは、もっと、おいおい、でかまわん。 たぶん。

リーチも副露も知らない奴に対してだって、基本的なマナーは教えておいた方がイイだろう。
「ツモってきた牌を手の中に入れるな」だとか「捨て牌はきちんと並べろ」だとかのマナーだ。
「片手でやる」なんてーのは、理由なんてどうでもよく、ただそうしろ、と言うだけのこと。 初心者の内に身に付けとくのがラクなのは当然の話。


だいたい、こんな感じで、麻雀は覚えられそうだ。
テレビゲームなんかで感覚を養って、教則本で役と点数をしっかり覚えて、漫画や小説で別の面白さを味わって、友人と囲んでイヤな思いをして、ネットで囲んで恐い思いをして、フリー雀荘で至福の時間を過ごす、なんてーのが普通の筋道かな(嘘)。
基本的でないマナーについても、早い段階で当たり前のように身に付けておくとイイかも知れんが、アタキのお薦めは、一つ一つの根拠を明確に理解してから、マナーを知っておくこと。
残念なことに、すべての麻雀マナーの根拠を明文化している資料なんてーのはどこにも存在しないのだけれど([雑録]の「マナーの色々」でも故意にその理由を省略してある項目がある)、それらを知ることで、実は麻雀というゲームが、対戦する四人の高潔な精神性に依ってしか成立しないという事実に気付くのに役立つかもしれない。 本来ならば、明確で厳選されたルールの一つ一つでのみすべての行為が規定されるのが素敵だろうけど(アタキは可能だと信じているけど)そうでない現状にある平成の我々麻雀愛好者の全員に、マナーは強要されてしかるべきなのだ。

ある程度、打ち慣れてきた麻雀打ちがそれから先、どうなるのかはワカラン。
もしかすると「トップを取ることが麻雀のすべてではない」と悟るかもしれんし、「麻雀とは本来、三人でやるべきだ」と気付くかもしれんし、「麻雀で喰っていこう」と決心するかもしれんし、「麻雀で政権を奪取しよう(意味不明)」と新興宗教を興すかもしれん。
そこから先は何やったってかまわんのだ、と言いたい。
一緒に囲んでいる他の三人に迷惑をかけさえしなければ。
そして、もう一つ大事なこと。 自分の何らかの行為が、一緒に囲んでいる他の三人に迷惑をかけているんじゃなかろうか、という心配り、って言うか、一種の臆病さみたいなものは絶対に忘れてほしくはない。
麻雀に、もし成果と呼べるものがあるなら、それは何人かが協力しながら寄ってたかって築いていくもんだろうと思う。

広告

ピックアップ頁