麻雀打ちの頁/雀のお宿

安過ぎる場代とそれに見合ったサービスしか提供しない店。

公開

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アジア的な喧噪

東町

「こちらが、この店のマスターです」
 振り返った私に、ああどうもと応えた笑い顔には見覚えがなかった。
 見覚えなんてあるはずもない。別に期待していたわけでもないが、その表情が気になったのも事実だ。マスターの目つきは私の何かを探るようなものだった。
 私にやましい所は何もない。少なくともこの目の前の男に対して特別な態度を取るべき理由は思い当たらない。私はただの旅人で、今はこの雀屋の客にすぎない。

 大きな私鉄の駅を出て一番人通りが多そうなアーケード街に足が向かったのは、何となくというのではなく、そのアーケード街だけが唯一の繁華街だったはずだという学生時代の記憶のせいで、とっくの昔にロードショーが終わった映画のリバイバルを観にこの街を訪れた時には、スーパーアイドル歌手が見てもらったことを売り物にしている街角の占い師や、祭りでもないのにバナナの叩き売りなどが声を張り上げている、地方的な喧噪の町(ある人にとってはアジア的なにぎわいを感じる町)というイメージを持っていたが、二十年近く経った今では間違いなくそれなりの地方文化都市としての体裁も整っており、足早に歩く人々も隣りの人を素知らぬ顔でやり過ごす程度には都会的な雰囲気を漂わせている。
 独特の技法で染め上げる着物だけが唯一の特産物であった地方都市の現在の主な産業は、豊かな水源を利用した化学工場であったはずだが、この辺の私の記憶は曖昧で自分でも当てにならず、ただ一番大切なことは、フリー雀荘がいくつかある程度には発展しているという事実だけだ。

 アーケードに入って最初の四つ角を左に向かった。
 右折するよりも少しだけいかがわしそうな雰囲気があったのだが、この通りにクラブはなかった。
 引き返して次の角を同じように左折してすぐに五階建ての商業ビルの三階に雀屋の看板を見つけた。
 暗い階段を上って押した重い扉の向こうは誰もいない空間で、ラジオの高校野球の実況が流れている。私の勘によるとこのクラブはサンマの店で、ここで自分が奥にいると思われる主人なりに声を掛ければ、そこから常連の誰かに連絡が入るのがいつもの展開だ。
 今日の私はそのやり取りを仏の顔で眺めていられる程、落ち着いた気分ではなかったので、何も言わずにまたその重い扉の外に出た。帰りにチラと目にしたキャンディやタバコをくすねたりはしなかった。その通りには他の雀荘は見あたらなかった。
 そして次の通り、アーケードの北口から三本目の左の通りにまともな看板「お一人様でも」を見つけ、ようやくこの街で初めて牌を手にすることができた。

「フーは、数えきんさぁですか」
 符計算はできるか?という意味で、私にルール説明を始めたのは、クラブの人間ではなさそうだ。マスターなのか主人なのか、とにかくこのクラブの人間は外出しているらしく、考えてみるとこのようなクラブに誰の知り合いでもない新規のフリー客が現れることなんてほとんどないことなのかもしれない。
 ナシナシ、東南戦、ピンのワンスリーで、原点に満たない者だけがウマを支払わねばならないシステム。どうということはない、いつもの感じ。
「ツモったら40符になりますけん」
 この時は、ツモピンフのことだろうと勝手に解釈していた。一般的なツモピンフは一役上がって20符計算するところを、役上がりせずに40符で計算するのだろうと理解したのだが、この判断は間違っていた。
 門前でツモった場合には、平和形であろうとなかろうと最低でも40符で計算するのだ。ツモピンフという役は無いのだが、とにかく40符での計算。そして通常の40符であれば50符に繰り上がる。勿論、門前でツモった場合だけの話。ロンでなくとも門前には10符加算されるわけで、こんなのに出会えるから私の雀荘巡りは続いているわけだ。

 ルール説明されている私を見てなのかどうかわからないが、いつもは卓に付かない感じの女性が加わって最初の半荘が始まった。彼女が私の上家のおかげで、すぐにその雰囲気に慣れてしまい、南入する頃には、そのスローモーな動作に少しいらついてきた。もう、いつもの麻雀だ。

 二半荘目のラスト近くで、マスターが戻ってきた。
 見覚えのあるはずがないのに、その顔は私の何かに探りを入れるような感じだ。
「いろんなとこでさるうですかぁ」
 色々な場所で麻雀を打っているのか、との問いには、ええとしか答えられない。何の意味もない質問だし、それ以上に無意味な答えだ。
 この店に来たのは何故だ、どこから来たのか、こんな質問を平気でするくらいに、このクラブは、あるいはこの街はまだまだ閉鎖的なのだ。
 このあたりのクラブは、このルールが普通なのですか?
「いやぁ、どこん、芸者麻雀ばかいですがぁ」
 芸者麻雀という言葉は初めて耳にしたが、これはたぶん、ドラや花牌を使った祝儀のやり取りが中心のチャガラ麻雀なのだろう。芸者とは一般的にはドラのことだ。そんな店に当たらなくてよかった。張ったらイケイケの麻雀は個人的には好きなのだが、旅の途中で味わうには少しきつい部分がある。

 八半荘囲んで、マスターにも常連客の何人かにもそれなりの印象を与えることができたところで、ラス半コールをかけたら、俺も俺もと、この卓は全員がこの半荘で終わりらしい。
 レートの割にとても安いゲーム代、細部についてはいい加減なルール、行き届いているとは言い難い接客サービス、どれも地方特有のものを残したままの古くからの麻雀荘のしきたり。私が望んでいるのはこんな雀荘であるはずはないのに、だけどここでも心が暖かくなれた。
 この街も好きになれそうだ。