「送り槓でもできるんですか」
私は驚いた。
初めて入ったクラブでのルール説明で、
「待ち牌、及び面子構成が変わる場合にはリーチ後にはカンできません。送り槓もこれに準ずる。」
なんて説明されたからだが、実は、送り槓は認められてないとのこと。
送り槓もこれに準ずるということは、面子構成が変わらないなら槓できるという意味だろう、普通は。
全然、日本語がわかっちゃいない。それならそうと「準ずる」じゃなくって、「送りカンはできません」というのが正解であって、こんなちょっとしたことにも、このクラブがイイカゲンなシステムだというのが知れてしまう。
小さな街で、たぶん、唯一のアリアリルールのフリー店で、大きな看板につられて入ってすぐのルール説明だけで私は嫌な気持ちになった。
ご新規カードにハンドルの「百貫雀」と書いた途端に、本名をお願いしますなんて言われて、それにどんな意味があるのか、このメンバーは一度も考えたことがないに違いないのだけど、そんなことはこれまでにも経験があるので、渋々、本当に渋々、本名を書いて、
「当店のことはどこでお知りになりましたか」
そんなの、看板が目に入ったからで、こんなどうでもいい質問に応えるには、今日の私は何もかも鬱陶しい気分で、これは二三回の半荘で切り上げようと思った。
ルールも場代も、客に強要するマナーも大型チェーン店のそれを完璧に模倣しており、一見すると、クラブのサービスもそれを真似しているようだが、そのサービスの本質みたいな部分を理解できていないせいで、囲み始めたら、すぐにこの店の底が知れた。
東の一局で、西家の私は「西、混一色、赤、ドラドラ」の跳ね満をツモった時に
「ホンイツ、西、ドラ3。ハネゴです」
と言ったら、対面の親のメンバーが
「赤五筒はドラでなく、アカ、です」
なんてチェックしやがった。
こちとら、このルールではあんたよりも長く囲んでいる自信があるものだから、私は少しカチンときてしまい、このあたりがまだまだ人間ができてない所なのだけど、親で六巡目に、ダマ跳ね聴牌した時に、あからさまに上家の牌を見逃して、そいつからロンしてやった。
何か言いたそうな顔に向かって
「これでトップですから」
と言い、最初の半荘を制した後は怒涛の五連勝をものにし、次の半荘で三着になったところでラス半にした。
自分でもイヤな客だなと思いつつも、また来ることもあるだろうと思った。
一週間ほどして、二度目の成績は、入って三連勝して、次に二着で抜け。
その次は翌日、二着で始まり、トップと二着を交互に三回ほど繰り返して抜け。
二週間後には最初にトップを取ったところで別のクラブから呼び出されて、仕方なく抜け。
次は、三連勝で始まり、二着二着、連勝、ラス、トップみたいな感じで抜け。
さすがにメンバーの誰もが、私におもねるような態度で話し掛けるようになった。
自分でもこの店での成績は出来過ぎの感が(今の所)あるのだけど、こんな店で負けるわけにはいかない、という驕りがあるのは確かだ。
気の抜けたコーラ、熱すぎるお絞り、狭いトイレ、そして何と言っても従業員の接客態度。こんなサービスで半荘2500円は、この地方においては、どう考えても高すぎる。
あのチェーン店がこれだけの場代を取るためにやっているサービスの質を真剣に考えてみるといい。雀荘経営を、たかが雀荘経営としてしか捉えていない経営態度が見え見えで、これだけの場代に見合うサービスとは何かなんて全然気にしていないのだ。
「いろんな所で打ってあるんですか」
この辺りにはサンマを打つために来てたんですが、たまたま大きな看板が目に入ったものですから。
「サンマは麻雀というよりもバクチでしょう」
ここだってバクチです。長い目で見たら場代分だけは取られるわけですから、気持ちよく遊びたいものですね。
私は嘘をついている。このクラブでは、絶対に負けたくないのだ。このクラブでは、場代だけでなく、食事代も、よそで遊ぶための資金も稼ぎたいのだ。
「見逃しや振り聴リーチが多い人は珍しいですね」
そうですか。本当の所は言えない。私がそれをやるのはメンバーが入っている時だけだし、前回にラスを引いた客に連続でラスを引かせないように心掛けているからだ。
一番ツラいのは、負ける人に、席を立たれることなのだから、自分以外の人間には均等に負けて貰いたいだけだ。
私の企ては、今の所、この店ではうまくいっている。出来過ぎの感もある。
店長なのか経営者なのか、とにかくこの店で一番のカシラである男と、ある晩、別の雀荘で一緒になった。
目でだけ挨拶したが、言葉を交わすのは、そこでは躊躇われたわけで、その雀荘のサンマでは彼の雀荘の十倍近いレートの場が立つことがある場所だが、その日は大人しいレートで始まった。
その晩は、その男の一人負けで、私はやや浮きで終わった。
翌々日くらいにその晩の話になって、
「ウチみたいな所では面白くないでしょう」
と言われたが、やはり、こいつが勘違いしているのがわかった。
私はレートによって面白いとか面白くないとかは考えないのだ。もちろん、大負けしたら首をくくらなきゃいけないようなレートには絶対に手を出さないし、勝っても負けても、スロットマシンでの勝ち負けと変わらない範囲に収まるのが普通だ。スロットマシンなんて、二十代のサラリーマンだって主婦だってやってるので、大負けが続くとそれなりに痛いけど、トータルで考えると小市民的な遊びだろうと思える。
本当に「ウチみたいな所では面白くない」と、そいつが考えてるのであれば、私が言いたいのは「携帯電話は卓外でやらせろ」「発声の無い鳴きを認めるな」「打牌を呼称した場合には罰符を」みたいなことだが、こいつには何のことだか理解できるはずもないよなぁとも思う。
勝ち続けると何でも許される部分はある。
私の後ろに陣取った若い客に聞かれた。
「どうしてあそこで見逃したんですか」
リーチを掛けて和了りたかったから。嘘だ。点数計算ができてなかっただけのことだ。それでも若者は、ふんふんとうなずいている。
「あの双ポンのリーチは勝負だったんですか」
片割れが切れているのに気付かなかっただけのことなのに、この若者は私の打牌の一つ一つに重要な意味を感じようとしている。
いかんなぁ、とは思いつつも、まだ勝ち続けている間は、私の伝説も続くのだろう。
ここまでくると、ようやく、このクラブにも何かの意味を感じながら麻雀ができる。
これからも体調を整えて、短時間での勝負に徹しようと誓った。