麻雀打ちの頁/雀のお宿

麻雀遺伝子の増殖の歴史とその陰謀についての考察。麻雀規則の変遷と伝播からの着想。リチャード・ドーキンスの遺伝子論からの牽強付会。

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麻雀遺伝子

麻雀遺伝子

あなたが麻雀を楽しんでいるのではなく、そう思い込まされているにすぎない

麻雀遺伝子は何も知らずに、何も考えない。
麻雀遺伝子はただ自己の複製が増えることのみを目的としている。
我々麻雀愛好者は、彼等の目的に踊らされている、ウタカタの存在に過ぎない。

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我々はたんなる、麻雀遺伝子の乗り物に過ぎない

 かつて混沌があった。
 今でも我々が普段目にする、カード(トランプ)/花札/かるた等の原形とも呼ぶべき姿のカード型ゲームが互いに交じりあい、分化し、そして少しずつ今ある形に進化を続けた。
 ルールも使用するグッズも混乱していた長い年月のどこかでは、麻雀の原形に近い多くのゲームが生み出されそのほとんどは消えてしまったことは容易に推測されるが、今の麻雀の直接の先祖とされるモノは、中国大陸において発生したことは間違いない。
 そしてこの時に、我々をコントロールしている数多くの麻雀遺伝子の唯一の祖先である『麻雀イブ』が誕生した。

 イブの存在については多くの異論があることだろうが、地球上の生物のDNAが四つの言葉の組み合わせですべて構成されていることを理由に全生命の根源が一つであるとされている事実を思い出していただきたい。 麻雀にも、サンマやナシナシやアリアリやブーマンなど多くの麻雀があるが、それらを組み立てているモノとしての要素は、牌や点棒など限られている事実をもって、私は敢えて、イブの存在を主張したい。

 後に『大平天国の乱』と呼ばれる事になる一つの混乱の直前に、麻雀イブは誕生した。
 麻雀イブの直接の子供達は、大陸各地から戦地に赴き、明日の運命さえも予測できない多くの兵士達を虜にした。 いつ終わるともしれない戦況の中で、ギャンブルに熱中してしまう兵士達は、実は麻雀イブとその子供達にコントロールされていたのだ。
 イブの子供達に取り付かれた兵士達は、混乱が静まり故郷へ戻ることになるわけだが、これが結果として中国全土にイブの子供達、つまり麻雀遺伝子を広めることになった。

 遺伝子の目的はただ一つ、自らの複製をより多く残すことだ。
 彼ら自身が意識するしないに関わらず、自らの複製をより多く残すことに成功した遺伝子が、真の繁栄を勝ち取ることになる。 複製といっても常に完全な複製であるとは限らず、ちょっとした外的な要因によってのコピーミスは避けられない事態である。 しかし、このコピーミスさえも『複製をより多く残す』という目的の前では、たんなるマイナス要因とは言えない。 逆にうまくコピーミスを犯すことができた遺伝子、言い換えると環境の変化に適用する方向へ向ってミスしてしまった遺伝子こそが繁栄への切符を手にした。
 環境の変化に適用できなかった麻雀遺伝子は進化の歴史の暗闇に葬り去られた。

 初期の段階に起こったコピーミス(=環境への適応)は比較的簡単なものだった。
「今、持ち合わせがないから、お金のかわりに点棒を使おう」
「北場までやるのは時間がかかり過ぎるから、南場で終わりにしよう」
 このようなコピーミスを犯した麻雀遺伝子が発生し、そしてその遺伝子は生き残り、生き残った麻雀遺伝子は、環境の変化に適応できない遺伝子を凌駕した。
 しかし、麻雀遺伝子総体を一つの意志を持ったものとして捉えてみると、遺伝子全体にとっては自らがうまく生き残るための大きな変容を遂げたのだとも言える。 もっと多くの麻雀遺伝子を生み出す為に必要な変化を選択し続けたのではないか。 イブの子孫はかなりしたたかな存在だ。

 麻雀遺伝子に操られているという事実に気付くことなく、多くの人類が麻雀遺伝子を増やすための活動を行っている。 麻雀愛好者のほとんどは、自分の行動をコントロールしている麻雀遺伝子の存在に否定的かも知れないが、客観的に考えるとその存在は明らかだ。
『徹マン』という不健康なことは、もし『生きる』という本能がうまく働いているのなら、選択する筈はないのだが、人としての本能よりも麻雀遺伝子の制御が強いからだ。
 負けても負けても麻雀をやってしまうのは、給料の多くを家族に渡して快適な家庭を築き、人類としての子孫を増やすこととは正反対の行動なのだが、これも麻雀遺伝子のせいだと考えると納得がいく。
 そもそも何故こんなに麻雀が好きなのだろう、誰もが一度は落ち着いて考えてみるといいかもしれない。
 大学の時の下宿の先輩に教わったから、新入社員の時に上司にやられて復讐のために強くなったから、家族全員の唯一一致する趣味が麻雀だから、あるいはただ何となく好きだから。 どれもその背後に麻雀遺伝子の企みによって、自分が麻雀が好きだと思わせられていると考えると、辻褄が合う。
 我々が麻雀を楽しんでいるのではなく、麻雀遺伝子に楽しいと思わせられているのだ。

 麻雀遺伝子が我が国で猛威をふるった時期が何度かあるが、その期間の少し前には必ず遺伝子の大きな企てともいえる事件が発生している。
 まず終戦直後から高度経済成長期に入る以前の麻雀の繁栄を支えていたのは、『リーチ』役の存在であろう。 上野に本拠地を置く根っからの博打打ち『ノガミの健さん』が考案したのか、GHQの米軍将校のグループから生まれたのか真相は定かではないが、どちらであってもこんな不思議なルールは人智を超えた才能のたまものであり、麻雀遺伝子ここにあり、と言える程の大事件である。 昭和二十二年には日本で最も古い歴史を持つある連盟が再興されているが、これもリーチ考案のそれとは別種の麻雀遺伝子の仕業である。

 高度成長期前夜の大阪ジャンジャン横町で発生した麻雀遺伝子の変種は、それ以降の経済的発展とも相まってかつてないほどの影響を及ぼした。
『ドボン』の採用である。
 手持ちの点数がなくなったらゲーム終了、というただそれだけのコピーミスは、ギャンブル性を高め、せっかちな関西人の気質に合っていたのだが、その後、日本人全体がせっかちになっていったので、まんまと全国にそれも長い時間をかけて広まったのだった。 『ドボン(箱割れ)』を生み出した麻雀遺伝子は、麻雀モーゼと呼ぶに相応しい働きをしている。
 麻雀モーゼの戒めは多くない。「汝、麻雀はアガってナンボである」というたった一つだ。

 ドボンで終わるのなら、満貫分を浮いた時点でも終わりにしてしまおう、と企んだ遺伝子が出現した。 ドボン遺伝子麻雀モーゼの弟にあたる、ブーマン遺伝子だ。
 この遺伝子も大阪で生まれ、新幹線や高速道路などのルートで全国に広まった。 伝播のスピードはそれ以降に登場した多くの別種の麻雀遺伝子のどれよりも速かった。 しかし、遺伝子としては本質的な意味でそれほど強いものではなかったのかもしれないのは、関西以外での急速な消滅度合いを考えると明らかだ。
 このブーマン遺伝子の衰退を、人間の法律上の施策の結果であるとの考えは浅はかだ。 何故なら、ブーマンを禁止する条例の発端にも、別種の麻雀遺伝子が関与していた可能性を誰も否定できないからだ。
 発祥の地、関西以外でもブーマン遺伝子の亜種がいくつか現存しているが、これらの分布を考えると、かつて弥生文化に凌駕された縄文人の足跡が、北海道や沖縄に多く残されていることとのアイロニーに思いが及ぶのは私だけではないだろう。

 忘れてならないのは『インフレ』の波である。
 インフレ化は、特定の遺伝子の特性であるとは考えにくい。なぜなら点数の体系におけるインフレ化は約二十年かけて倍々になっていったし、その他のルール上のちょっとした変化もインフレ化の要因になる可能性があるからだ。
 ここで少し大胆ではあるけれど、私見を述べさせて頂くならば、インフレ化という性質を持つ麻雀遺伝子などは昔も今も存在していない、と断定したい。 多くの反論は予想されるし、私自身数年後には変わる考えかもしれないが、それでも敢えて『インフレ遺伝子不在説』を唱えるのに特別な根拠があるわけではない。 麻雀遺伝子に二十年間、操られて生きてきた私のただのカンである。 この件は将来の研究成果に期待したい。

 今の日本に現存する麻雀遺伝子の内、最も古くからの性質をとどめているのはアルシャル遺伝子だが、この遺伝子の生命力はかなり強い。 しかし、麻雀人口の95%以上(イイカゲンな数値だ)は、アルシャル遺伝子の直接の影響を受けることなく、その他の麻雀遺伝子の繁栄に関与している。

 昭和四十年代の前半には、現在検出できる麻雀遺伝子のほぼ全部が出揃ったが、中でも特殊なのが『ナシナシ遺伝子』である。
 学者によっては『完先遺伝子』とも呼ばれ、更に別の学者は『ナシナシ遺伝子』と『完先遺伝子』とは別物であるとの見方もある。 間違ってはイケナイのだが『アリアリ遺伝子』などというものは存在しないということだ。 元々、イブの時代からモーゼの時代を経て、麻雀は常にアリアリだったのだ。 ナシナシ、あるいは完先というのは、突然変異であり大いなるコピーミスなのだ。
『ナシナシ遺伝子』を宿した多くの麻雀愛好者の言質に『アリアリルール』への病的なまでの拒否感/嫌悪感がある事実は興味深い。 それとは逆に『ナシナシ遺伝子』に犯されていない愛好者には『ナシナシルール』への拒否感はない。
 どちらの愛好者も、普段自分がやっていないルールは一度も経験がないにも関わらず、『ナシナシ遺伝子』陽性の者についてだけ、相手への異常な拒絶反応が見られる。
 遺伝子の変容のメカニズムの問題なのか、人は元々制約を好む動物なのか、あるいは私が勝手にそう思い込んでいるだけなのか、これも二十一世紀に解決を持ち越された大きなテーマの一つである。

 お待ちかね、『サンマ遺伝子』の登場だ。
 この遺伝子の登場の現場は簡単に再現できる。
『田中が来るまで、三人で遊んでようか』この一言で、『サンマ遺伝子』が生まれた。
 正確にはこの時発生したのは『サンマ遺伝子』のキリストであり、その使途とも言うべき更なる変異体の存在なしには、今日のサンマ隆盛を語ることは出来ない。 キリストの弟子達は、師の言動をそれぞれの解釈により発展させ普及に努めた。
『サイコロ一個で』『萬子を省いて』『北は抜きドラで』どれもキリストが直接言ったのではなく、ヨハネを初めとするサンマ遺伝子の使途達の成果である。
 四人集まってもサンマ卓が立つようになった時が復活の日とするなら、三人のサンマよりも四人でのサンマの方が面白いと感じるようになった時が帝国の完成である。

 麻雀は本来三人でやるものであり、サンマこそが正統なルールである、と豪語する人達が、私の友人にも多くいる。
 そんな筈はないのだけれど、そこまで思わせてしまったサンマ遺伝子の影響力の強さをあらためて知る思いがする。

 麻雀遺伝子の猛威は衰えることを知らず、次々に環境の変化に対応していったのは周知の事実である。
 ワレメ、アリス、赤ドラ、焼き鳥、オープン、東風戦、すべて麻雀遺伝子の仕業である。
 近代麻雀各誌、月間プロ麻雀、ワレ目でポン、これらも麻雀遺伝子の仕業である。
 阿佐田哲也、井手洋介、桜井章一、プロ連盟、最高位戦、101、どれの陰にも麻雀遺伝子の謀略が見え隠れする。
 かくいう、このHPも麻雀遺伝子に踊らされた結果なのだ。

 我々はたんなる、麻雀遺伝子の乗り物に過ぎない。

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