麻雀打ちの頁/雀のお宿

武田の挑発にのったわけではない。自分の腕が本当に錆びついているのか確かめたくなっただけだ。錆びていたとしてもそれはそれでいい…。

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2. body and soul

身も心も

牌を抱いて眠れ-2

 武田の挑発にのったわけではない。 自分の腕が本当に錆びついているのか確かめたくなっただけだ。 錆びていたとしてもそれはそれでいい。 私はただのバーテンだ。 今日は囲んでも、明日はまたいつもの通り、シェイカーを振る私が奈津実の店にいるはずだ。

 大きなアミューズメントパークと思しき近代的なビルに武田に連れられて入った。
「隣の総合病院の院長の息子が経営している建物でね。 あんた達が旦那って呼ぶ連中が時々大きな卓を立てるんだ」
 小金を持った博打好きの素人を旦那と呼ぶのは、そのあたりの雀ゴロだけで、私はそんな言い方をしたことがない。
 武田は、憧れた、と表現したが、それはマニアックな憧れだけで終わり、自分で踏み込むことはなかったようだ。 男とは自分で踏み込むものだ。 少なくとも、踏み込めなかった奴とは同じステージで勝負したいとは思わない。
「あんたが俺を軽蔑しているのは判るよ。 俺はたいした打ち手じゃない。 ただ、俺があの時、心から震えたウルフが本当に死んじまったのかどうか、それを確かめたいだけなんだ」

「いやぁ、ドク」
 アミューズメントビル全体を管理しているモニター室の奥の部屋が、この院長先生の息子の事務所か。 息子は快活に挨拶して握手を求めてきた。 私が手を出さないのを不思議に思ったらしい。
「ああ、聞いたことありますよ。 麻雀打ちは握手、それも利き手での握手はしないんだってね」
 なぜ、握り返さない。 自分自身に問うた。 私はもう麻雀打ちではなくなったはずではなかったか。
 にやついた武田と目が合った。


 息子の部下らしい不愛想な男と、武田と息子と私は卓についた。
 三人とも私の何かをはかるように黙々と摸打をくり返した。奈津実がここにはいない、というだけで、いつもと何も変わりはしない。いや、変わりはしないと思い込もうとしている自分に気付いたが、私自身も私の中の何かを求めているようだ。蘇るものはあるか。自摸ってくる牌の温度差に素直に従える自分なのか。

 誰も和了らずに東の三局まで流局し、私の親番になった。
 蘇ってくるものはあるか。牌の重みを活かした手に育つのを阻む意志はないのか。
 対面の武田が立直をかけた。途端にドラ四枚の在りかが、私には知れた。武田に二枚、私に一枚、もう一枚はおそらく山の中。
 北家の息子が初牌の發をポンした。途端に武田の待ちの第一候補である、三萬六萬の下の牌である三萬を暗刻にしているのがわかった。
 息子の部下が中を切り、それをポンした後に、私は六萬を放銃した。
 武田は仕方なく手牌を倒した。もう一枚残っているはずの三萬ならば三色同順の完成だが、大三元の聴牌には抗がうべくもない。
 蘇ってきている。たぶんそうだが、今一つ確信できない。

「やめだ、やめだ」
 武田が立ち上がった。
「あんたはもう腐っちまってる。全盛時のあんたならもっと違う対処ができたはずだ」
 あっけに取られている息子とその部下にはお構いなしに武田の剣幕は続いた。
「ああ、ちっとでも夢を見た俺がばかだったよ。俺はあんたには用はない。そんな錆びついた腕なら、あの店の女と組んで客の財布でも狙うのがお似合いさ」
 本当に錆びていたのか。
「あんたはもう昔のあんたじゃない。俺にとってのウルフは死んだ。そう思うことにするよ、じゃあな」
 武田は最後まで悪態をつきながら部屋を後にした。

 私には一瞬、蘇ったものがあるような気がしたが、あれは気のせいだったのか。牌の温度差も重みも、確かに感じることができた、と思えたあの感触は幻だったのか。私は席を立つことができなかった。
 しばらくして胸の奥から大きな声が聞こえてきた。自分の声であることも最初の内はわからなかった。私は吠えていた。そして泣いていた。
 身も心も錆びついた自分をどうしようもなく痛めつけたい衝動にかられている私自身がいた。


「ドクにここだって聞いてね」
 一週間ほど経った開け口の宵に、院長の息子は訪ねてきた。
「バーボンを貰おうか、そのワイルドターキーでいいよ」
「ターキーはバーボンではありません。テネシーウイスキーでございます」
「ははは、そんな口きいてるあんたを見てると、あの卓に座ってたウルフと同じ奴とは思えないな」
 私を笑うためにわざわざやってきたのか。物好きな男だ。
 グラスに何も注文がないので、シングルを前に置いた。
「初めてだったよ、あんな麻雀。噂には聞いてたが、やはり本物の麻雀打ちは違うんだなって思ったね」
 武田が錆びたと言った私を慰めるつもりなのか。
「あの六萬打ちもそうだが、その前の二局、思い返すだけで震えてきそうだ」
 武田に言われるまでもなく、死んでいたのだ、私は。
「このまま何も言わないでもよかったし、ドクには口止めされてるんだけど、あの卓は仕組まれてたんだぜ。俺達三人は、三人とも牌のすべてにガンを付けてたんだ」
 嘘だ。私の目をごまかせるようなガン牌が存在するわけがない。
「あんたは気付かなかったと思うが、牌の全部にセンサーが埋め込まれてて、相手三人の手牌を手元のスイッチ一つで知ることができる特注品なんだ。もちろん、山に眠っている牌だって知ることができる。牌の混ざり、そのものはランダムで、これを制御することはできないがね」
 奈津実が奥のボックスからこちらを睨んでくる。
「俺達はあんたの手牌も山から次に自摸ってくる牌も完全に知っていたのに、前の二局では何もできなかった。あんたの手が一番、早かったし、あんたの必要牌を使い切ってようやく聴牌した途端にあんたはオリに回ってた。あんたの打ち筋はパーフェクトだったんだ」
 私の表情の変化に奈津実は気付いたのかもしれない。
「ようやく三局目にあんたの手の進行が遅いので仕掛けることができた。あんたがあそこで六萬を打たなかったらドクは三萬を自摸和了りしていたし、それが鳴きで順番が狂った場合でも俺が大三元の自摸和了りという筋書きだった。ドクの手は裏ドラがついて倍満、あんたは最小の5200であの局を凌いだんだ」
 あの時感じた何かは、確かなものだった。危険牌の煌めきも、有効牌の重みも、何もかも確かなものだった。
 私の腕は錆びているどころか、完全な情報を握っている三人を相手にしても十分に戦えるほど際立っていた。熾烈な戦いの場から離れていた長い時間が、麻雀打ちとしての何かを熟成させていたのかもしれない。
 そこから先の息子の言葉は耳には入ってなかった。

 店を閉める時刻になって、思いつめたように奈津実が口を開いた。
「出て行くの」
 自分のいるべき場所がわかったのだ。そしてその場所はこのカウンターの中ではない。
「知ってたんだ、あたし。あんたが有名な麻雀打ちだったってこと」
 奈津実には悪いが、私は麻雀を忘れることができない。
「あたしに麻雀、教え込んだ前の男があんたの牌譜をいつも読んでた。娘っ子がアイドルに夢中になるように、あたしの最初の男はあんたのことばかり口にしてた。男に惚れられてる男なんてどんな奴だろう、て思ってたけど、あんたがこの店に来てくれて、あたしを助けてくれるようになって、神様って本当にいるんだなって思ってた。あんたは、死んだ前の男が神様になって会わせてくれたんだなって思ってた」
 震えている肩が弱々しい。
「やっぱり出てくんだ」
 それ以上、奈津実の口から出てくるのは言葉にもなっていなかった。鎖骨のきれいな女だ、いつも思ってた。
「いつだって戻ってきていいんだからね」
 二度と奈津実の前には顔を出さない。奈津実もわかっている。

 身も心も、私は麻雀打ちなのだ。