麻雀打ちの頁/雀のお宿

闘牌を見せることで多くの麻雀ファンを魅了した、伝説の麻雀バンド「メンバーズ」の最後のステージ直前に行われた独占インタビュー。

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ラストワルツ

伝説の麻雀バンドへのインタビュー

はじまりは他のチームと同じで、ぼくらは田舎の学生の集まりだった。
学園祭なんかでぼくらが卓を囲むと、他のチームよりも多くの、そう本当にたくさんの女の子がぼくらの回りに集まったもんさ。 ぼくらは学園のスターだったし、そのうちによその学校にも呼ばれるようになったね。
ぼくらが囲みだすと自然に人が集まってくるんだ。
麻雀やってるだけでも楽しかったけれど、もうあの頃からすでに、ぼくらは「見せる麻雀」を意識してたんだというような気がする。

プロになろう、って、メンバーの誰かが言い出したってことはないと思う。
学生の頃から地元のクラブで、ぼくらはすでに普通のアルバイトじゃ手にできないくらいの収入を得ていたし、就職のことなんか考えるよりも、このまま、このメンバーと一緒にずっと囲んでいる方が、なんだかラクだった。
もしかすると、逃避、そんな感じだったのかもしれない。 メンバー全員がね。

それに、麻雀プロというものを、ぼくらは勘違いしていた。
だって、ぼくらは誰も、生まれ育ったその地方から出たことがなかったんだ。 ぼくらの周囲には、麻雀プロなんていなかった。当然のことだけど。
ぼくらのようにチームを組んで、麻雀やってる姿、...闘牌っていうのかな、それを見てもらうだけでプロフェッショナルだなんて、思えなかった。
そういうのを、お金を払っても見たいという人がいたのは知っていたけど、それで本当に生活できるなんて思えなかった。
こうして二十年たった今でも、よくやってこれたなぁという思いはあるよね。
だけど不思議なものさ、今では、麻雀プロといえば、ぼくらのような人の方が世の中には圧倒的に多いんだから。

メンバーズ。
最初はこんなチーム名じゃなかった。 「演義麻組」だとか「差し込み隊」とか(笑)、そんな感じ。
初めて大阪のキタのクラブで、ボブのバックメンバーとして囲んだ時に、蝶ネクタイの司会者が「ボブとボブのメンバーズ」って紹介したんだ。
ボブまでが、ぼくらのことを「メンバーズ」って呼ぶようになった。
もちろん、ボブとは今でも友人だし、これからもずっとそうさ。
ボブと出逢わなければ、こんなに長い間、同じメンバーで囲み続けられたのかどうかわからない。 ボブには心から感謝しているよ。 今日のステージだって、オオトリはボブとの半荘さ。

タカシはメンバーの中で一番、後で、仲間に加わったんだ。
タカシは才能あふれる奴さ。 ぼくらと一緒じゃなけりゃ、もっと大きなチームを率いたマネージャーになっていただろうね。
タカシがおかしなことを言い出したんだ。
メンバーに入るから、毎週10ドルづつ渡せって。
チームの稼ぎはそこそこあったし、タカシの取り分はそれ以上だったから、何の問題もなかったんだけど、タカシの言い分を聞いて、みんな笑った。
タカシは厳格な家で育ったので、麻雀チームのメンバーになるだなんて、家族の全員から反対されたらしくて、それならば、メンバーに入るんじゃなくって、メンバーに麻雀を教える、そう、つまり先生としてなら一緒にやっていけるって(笑)。
タカシの実家に顔を出す時には、ぼくらは全員、麻雀教室の生徒さんってことになってる(笑)。

麻雀には国境も差別もない。
そしてローカルルールのどれについても、どのルールが一番すぐれているだとかの、そんな区別も必要ない。
ぼくらが二十年かけて、いろんな地方で、いろんなルールで、そしていろんな人達の前で囲んできて得た、とても大切な教訓の一つなんだ。
教訓、というよりも真理だとさえ思ってる。
地方のクラブでは、ぼくらの持ちネタ以外の麻雀だって披露しなくちゃいけない。 リクエストの場合もあるし、ぼくらがすすんでやるサービスの場合もある。
この時には、その地方、あるいはそのクラブのローカルなルールでの麻雀というわけさ。
一索が八枚も入っていたり、そう、他の牌は普通に四枚づつなのに、一索だけが八枚もあったり、表満貫なんて役があったり、うん、これは捨て牌の十四枚で和了形ならば満貫役という奴、それ以外にもたくさんのローカルルールで麻雀をやってきた。 だけど、どんな変則ルールだって、その底の方に流れている感覚、ぼくらは「麻雀フレバー」と呼んでるけど、その基本的なモノは一緒なんだ。
麻雀を麻雀たらしめているものは、牌や卓なんかのグッズなんかじゃなく、特殊役なんかでもなく、その「麻雀フレバー」なんだ。
「麻雀フレバー」は、どんなルールの麻雀にだって感じることができる。 サンマだって、ナシナシだって、ブーマンだって、どんな麻雀にもあるのさ。 この「麻雀フレバー」がある限り、麻雀はいつでも麻雀なんだ。

ローカルルールで思い出したけど、あるクラブで「みんなオナテン」をリクエストされた時には困った。
「みんなオナテン」はぼくらの初期のヒット作の一つで、誰もが自然に手を進めていきながら全員が同じ聴牌になって誰も和了れない、っていう局面を作るわけなんだけど、このクラブでは花牌を採用してて、花牌は四枚とも聴牌時にツモった場合にだけオールマイティになってしまうんだ。
オナテンにすることそれ自体は、サンマだって、全然難しいことじゃないけど、このオールマイティ牌にはまいったよね。 早くに聴牌してしまって花牌を掴んじまったら和了りになるので、四人ともなかなか聴牌にできない。 花牌が枯れるか、誰かが使い切るまでは、山に眠っているので聴牌にとれないんだ。
挙げ句の果てには、全員がトイトイ形を狙って、花牌単騎待ちって結果を取ったけどね(笑)。

イカサマ?
ぼくらはそんなことはしない。
ただ相手が何を考えて何をしているかというのは全員がわかっている。 これをイカサマと呼べば呼べないこともないと思う。
だけど、ブーマンなんかでも、誰かの大物手を蹴るために見え見えの待ちで差し込みを期待するリーチってあるよね。 そんなのはイカサマとは言わないし、ぼくらがやってる麻雀だってその延長線上のものなんだ。
それに見る人が見ればイカサマなんてスグにわかるだろうし、そんな麻雀では見ている人を感動させることはできないと思うよ。
そう、ぼくらの麻雀を見てくれてる人の多くは、感動したくて見てくれてるはずなんだ。 期待を裏切ることはしたくないよね、ぼくらは、プロなんだから。

ずっと昔、麻雀愛好者のほとんどは自分で囲んでいた時代があった。
今でも囲む人はおおぜいいるけど、ほとんどの人は囲むよりも麻雀観戦を楽しんでいるよね。
野球やサッカーなんかと同じように、実際に自分で競技をやる人よりも、上手な人が戦うのを観戦して、みんな楽しんでいる。
自分で牌をツモって切って和了って振り込んで、本当はこれだけでも充分楽しいゲームなんだけどぼくらの役割は、それをさらに昇華させることにある。
ぼくらと同じように、この国ではいくつものチームや個人がこれを研究してきたんだ。 ぼくらはそれを敬承して、次の時代に絡ぐ役目を果たしてきたとうぬぼれているよ。

今日は最後の、メンバーズの麻雀だ。
たくさんの友達が集まってきてくれてる。
今日、やってきてくれた友達は、みんな、麻雀を愛し、麻雀に愛されてきた奴らばかりだ。
明日、ぼくらが何をやっているのかはわからない。 スグに全員が離ればなれになるわけじゃないけど、メンバーズとしての麻雀は今日が最後。
観戦に来てくれた人も大事だけど、ぼくら自身も今からの麻雀には期待している。 一打一打に、いろんな思いが込めれるような、そんな麻雀になるといいね。