月日の流れは本当に早いものです。あなたがこの世を去って十年以上が経ちました。
今年はあなたの没後十周年を祈念していくつかのイベントが催されましたが、その主催者や参加者の顔ぶれを見るにつけあなたの功績にあらためて思いを深くする今日この頃です。
あなたは神様になってしまったそうですが、参拝する人々は途絶えてませんでしょうか。お賽銭は順調にアガっていますでしょうか。一度も参ったことがないくせにそんなドーデモイイことを心配しているアタキは、あなたのファンであり信奉者の一人です。
とある麻雀大会の成績表、壁に張り付ける為の大きな成績表の一部分にあなたのシブイ顔写真をモノクロでアレンジしたのですが、参加者の一人から「誰だ、このオッサン」という声がありました。
そう言った彼は三十歳少し手前で、一番の趣味が麻雀であることを公言しているのですが、アタキは驚くと同時にとても寂しくなりました。彼はあなたを知らないのです。
まさか、あなたのことを知らない人間がこんな身近にいるとは思いませんでしたし、その彼以外にもその場にいた何人かが麻雀放浪記という題名を耳にしたことはあっても「読んだことがない」あるいは「漫画でしょ、それ」あるいは「サイバラのなら...」なんて言い出す始末なのです。彼らにとってあなたは、ただの変な顔つきのオッサンに過ぎないのです。
アタキは麻雀がとことん好きですが、あなたがいなければこれほど好きになったでしょうか。たんに麻雀というゲームが好きなだけでなく、あなたが作り出した物語の世界やそこで活躍する多くのアウトサイダーに自分の一部を投影してワクワクし、あなたが発掘した多くの胡散臭い人達を敬愛し、あなたの発案した組織の流れを組むいくつかの団体に所属し人生を送っている友人を羨望し、あなたが言った怪し気な戦略戦術をいつも頭において麻雀を楽しんでいるのです。
そんなアタキとは全然違う立場の若者が今の麻雀ブームの底辺を支えているとしたら(実際にそのとおりなのでしょうが)、本当に寂しいのです。
アタキが初めてあなたを知ったのは麻雀放浪記か、その他の角川文庫から出ていた短編集の筈です。
麻雀を知らない頃は牌の絵柄が印刷されているだけで敬遠していたその類いの書籍も、今度は逆にその絵柄があるだけで貪るように読みました。放浪記の一巻、物語全体を被うようなウス暗い躍動感にドキドキしました。チンチロリン、イカサマ、博打、囲われた女性、コンビ打ち、裏切り、あぁこれが大人の世界なのかと思いながら読んでいたのですが、後になってそれは小説の世界なのだと知りました。小説の世界、つまりは絵空事であったのにあんなに興奮しながら、多くの文庫本を読み続けたのは、そこに描かれている人物が本当に弱くズルく、ある意味で本当に人間らしい魅力ある人々であったからにほかなりません。一連の麻雀小説に描かれてあったものは、麻雀のイカサマ技ではなくイカサマ技を使うことでしか自分を実現できない愚かな者達であり、ギャンブルの視点でしか人生を捉えることができない破滅的な性格者達でした。
麻雀を素材としていることが、文芸作品としての放浪記の価値を不当に落としているという指摘は方々にありますが、アタキは麻雀という舞台があったからこそあれほどのリアリティを表現できたのだと信じています。
鉄火場には人間が本来持っている欲望が渦巻いているもので、そこで勝ち組に入った人間達がそれ以外の場でまっとうな意識を持って生活できる方が不自然なことでしょうし、そういう意味では設定こそ絵空事ではあったかもしれないけど、あの世界に蔓延していた異様なウス暗さは間違いなく事実以上の真実であったようにも思えてきます。
放浪記以降に著された多くのギャンブル小説はそれを超えることはありませんでしたが、唯一ぎゅわんぶらあ自己中心派という漫画だけがまったく別の角度から、あなたの功績に近付いたものです。片山まさゆきの描く世界こそは、あなたが作り出した多くの亡霊を振払い新しい麻雀文芸のあり方を提示した最初のものですが、あなたはこの漫画を読まれたことがあるでしょうか。できることならその感想を聴きたかったと思っているのはアタキだけではないでしょう。
あなたは作品を通してだけでなく、実人生の上でも麻雀新撰組を旗揚げしてカブキ者として名を馳せました。あの集団とその活動そのものが直接何らかのイノベーションを起こしたとは思えませんが、少なくとも現在の麻雀界の重鎮と言われる人々はすべてあの集団が息衝いていた時代にそれと関わりを持つか、それに触発/啓蒙された人々であることは疑いようのないことです。小島武夫、古川凱章、灘麻太郎などのプロ第一世代だけでなく、あの桜井章一さえもがあなたのことを「麻雀の話ができる唯一の人だった」と回想していることからもその偉大さが伺い知れます。
現在はプロ第三世代とも呼ぶべき時代に入っていますが、例えば現鳳凰位(九十八年度)の原田正史プロはあなたのことをどう感じているでしょう。第二世代に属する前鳳凰位の森谷健プロは、現鳳凰位のことを「ロボットみたいな奴」と評していましたがその言葉を聴いてアタキは放浪記の第四巻をふと思い出しました。
あなたの麻雀をアタキは伝聞でしか知りませんが、何となく憶えているのは理牌せずに倒牌するマナーの良くない奴だとの印象があります。
何らかのテレビ番組で見たのでしょう。
仲間内ではあまり勝つ方ではなかったようですが、ただ一つはっきりしていることはあなたがいつも居眠りしていたことと、あなたのことを悪く言う人が一人もいないことです。
雀聖
としての功績/実績を尊重することだけから多くの方々の敬愛を集めていたとは思えず、あなたは本当に心根のやさしい方であったのだろうといくつかの評論から知ることができます。伊集院静のエッセイや井上陽水のインタビュー記事であなたの悪口を聞くことができないのは当然としても、アタキが大好きな悪口爺ィの立川流家元でさえ、あなたのことを「兄さん、あにさん」と慕っていたというエピソードは、これはもう本当の意味で聖人と呼ぶ以外ありません。
あなたが繊細な感性の持ち主だったことは万人の認めるところですが、そんなあなたが青春のある時期、アウトローの世界に踏み込んでしまったその経緯は、よく考えると特別なことではありません。
あなたが体験したようなことは(誰もがとは言いませんが)一般に考えられている以上に多くの人が体験する可能性のあることで、実際にアタキ自身もあなたが作り出した人物のモデルではないかと思える程の性格破綻者を何人か目にしてきました。しかし、あなたの素晴らしかった点は彼らの危うさを優しい眼差しで受け止めることができた、その誰をも傷つけまいとする優しさです。そうと知らずに他人を傷付けることに鈍感な人間に対してもあなたの優しさは持ち続けられ、そしてその優しさの基本には、麻雀というゲームが実は他者を思いやる性質の勝負事であることに起因している事実があるのではないか、というのはアタキの考え過ぎでしょうか。
あなたが名著Aクラス麻雀で明らかにしたように、麻雀は一対三のゲームではなく、二対二のゲームでもなく、一対一対一対一のゲームであるわけで、その戦略には常に共謀が潜んでいるものです。共謀とは協調/相互扶助の延長にあり、そして裏切り/出し抜きの要因でもあります。もしも無上の優しさというものがあるとしたら、それは多大な傷付けあいの結実である可能性が高いと思われますし、その傷付けあいの基本が麻雀には存在するような気がしてならないのです。
あなたの架空の人生をモデルにした漫画が少年誌に連載されています。人気があるようで嬉しいです。
原作者はあなたの小説や残した牌譜を専門に研究している方ですが、アタキと同じようにあなたの信奉者でもあります。少年誌という制限の中で困難な題材を取り上げているわけですが、アタキはこれが切っ掛けになって、あなたの残した多くの書物、言質、牌譜、戦術などに脚光が浴びると素敵だと思います。
その結果、多くの反対意見みたいのが出てくるといいと思っています。
そして、あなたの批判を大っぴらに誰もができるような時代になることが、実はあなたがカブキ者として夢見ていた麻雀界の大きな発展への糸口となるような気がします。それでも、あなたは雀聖
と呼ばれ続けるでしょう。あなたのような優しい傷付きやすい人格が、先達であることの幸福ははかりしれません。