麻雀打ちの頁/雀のお宿

ギャンブル一般の主催者への金の流れ、いわゆるテラ銭について。賭博やゲームにおいて徴収される遊戯料金の歴史上の意味、マージャンの場代の変遷(テラ銭からゲーム料金へ)について。

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テラ銭(寺銭・てらせん)とゲーム料金

テラ銭という感覚があるからギャンブルなのだ

テラ銭(てらせん)のテラはお寺のテラだ。 一メガの千倍の千倍のことではないし、地球のことでもない。お坊さんがいて、お墓があったりするお寺のテラだ。

大昔から賭博は寺の中で行われていた。 寺や神社は、一般の取り締まりにあたる町奉行とは別の寺社奉行管轄だったので、博打場としてはとても都合がよかった。 銭形平次や大岡越前や遠山の金さんに捕まる心配はなかったんだろう(だけど中村主水は別だ。依頼さえあればヤラれるかもしれない)。
寺を借りて博打を開催するのは、通常は博徒の親分だ。 人を集め、場をセッティングし、廻銭を準備し、ルールを決め、トラブルが発生したら迅速な対処を行う。 そんな労力に対する対価がテラ銭なわけで、本当に寺に入るのではなくほとんどは胴元に入る金銭なわけだが、プレーヤー側から考えると、やっぱ「寺で取られている金銭」なわけで、だからテラ銭と言う。
今では、胴元が吸い取る金銭の総称がテラ銭だ。

ギャンブルにおける勝敗の行方は、ディーラー対プレーヤー、あるいはプレーヤー対プレーヤーだが金銭の流れを見ると、プレーヤーから他のプレーヤー、もしくはプレーヤーから胴元へという図式だ。 そして胴元が勝負に参戦しない限り、胴元からプレーヤーにお金が動くことは基本的にはない(全くないわけではなく、例えば、廻銭を借りて踏み倒す場合なんかが考えられる)。
大局的に考えるとあらゆるギャンブルは胴元に金銭を集める手法の一つに過ぎず、全プレーヤーの目的は、他のプレーヤーからより多くの勝ちを得て、胴元には少ないテラ銭しか払わないことに尽きる。
しかし、胴元は巧妙である。何とかして多くのテラ銭を得たいと考えている。 その、胴元が金銭を得る仕組みにはいくつかのパターンがある。

第一のパターンは入場料制。博打場に入る際にいくばくかの金銭を支払うシステムだ。
その金銭を支払わなければ賭場に入れないわけで、入場者の数とテラ銭とが比例している。 入場料を支払ってしまえば、その後の勝負はプレーヤー同士のやり取りだ。 入場料金を支払ったからといって、勝負しなければいけないわけではない。 テラ側(胴元)にとってはリスクは少ないが、あまり旨味もない。
公営ギャンブル場の入場料金はこれにあたるのかもしれない。 世の中には「馬の走りを見るのが好き」という人も大勢いるのだ。

第二のパターンは一ゲーム制。 一つのゲームに参戦する度に一定割合のテラ銭を取られるシステム。
宝くじや公営ギャンブルや組関係が主催するトトカルチョ等はこれに相当する。 一ゲーム毎にプレーヤー全員の掛け金から一定割合のテラ銭を抜いてしまって、残りをプレーヤー内の勝者に分配する。 一ゲームで動く金銭の額が大きければ大きい程、多くのテラ銭が揚がることになる。
最もあくどく、理不尽なシステムなので、多くの参戦者がいる博打でないと成立しない。 理性的に考えると、やればやるだけ負けが込むことがはっきりしているからだが、この事実に目をそらさせるために胴元がやっていることは、ゲームの内容を面白くしたり、途方もないほどの賞金にして夢を与えたり、金銭を公共の利に供するという名目を付けたりだ。

第三のパターンは時間制。 勝負の最中に、ある時間を経過するごとに無条件に一定額をテラ銭として徴集するシステムだ。
一般的には馴染みは少ないが、ディーラーの有利さが顕著でないゲームを主催している非合法な賭場ではよく見かけられるもので、アタキの地元では『タブ』がこれの代表例だ。
これは入場料制の延長に当たるものなのでかなり昔からあったシステムだと想像される。

第四のパターンはチップ換金差額制。 勝負の最中には実際の金銭を使用せずに胴元が用意する特別なチップを用い、それを最後に換金する時に一定割合でテラ側が得るシステム。
これはプレーヤーには評判のよくない仕組みだ。 なぜなら支払うテラ銭の多寡が勝ち負けの大きさでなく、意味不明なチップの手持ち量に左右されるからで、例えばパチンコで三千円分の玉を買って一発目でフィーバーした時に、全部換金してくださいなんて言われたら三千円も買わずに五百円にしとけばよかった、と悔やむのが普通だからだ。

そして第五番目のパターンが最も多く採用されている勝者一括制。 一ゲーム単位の勝者だけがテラ銭を支払うシステムで、敗者には支払い義務が生じないものだ。
何だかワケのワカラんテラ銭の支払いを勝者一人に賄わせるというのは良いアイデアだ。 勝った人間は当然のように多くの金銭を得ているので、その中からいくらかのテラ銭を取られてもあまり文句は出ない。 テラ銭がどんなに大きくとも、それを多額だとは思わせないくらいにしておけば何も問題は出ないのだ。 そして勝者とはいっても次のゲームでは負けるかもしれない。 一ゲーム毎の勝者からいくらかを没収するというのがウマイ所で長い目で見たら他のシステムと同様に全員からテラ銭を取っていることになり、そして実際には、他のどのシステムよりも多額のテラ銭が揚がることが普通だ。
我が国における最も完成されたギャンブルである手本引きや、最も大衆的なチンチロリンでは、ディーラーが受かった場合にだけ(プラスのまま親の権利が他者に移行した場合にだけ)浮き分の中から一定割合のテラを取るのがポピュラーなやり方だ。 本当に巧妙で、しかも完成度が高いゲームであればある程、ディーラーと他のプレーヤーの有利不利が少なく、しかもほんの少しだけディーラーが有利であるようになっている。

では、アタキらが日常やっている麻雀ではどのような仕組みになっているんだろう?(半分以上過ぎて、やっと麻雀の話になったゼ(笑))
勿論、麻雀とはいっても、賭け麻雀の話であり、胴元が存在するような場合の話だ。 テラ銭とは、雀荘が徴集する半荘単位で徴集する料金に相当する。

三つのパターンに分類されるのは言うまでもない。
半荘毎に全員が一定額の料金を支払うシステムと、トップ者だけが支払うシステムと、全員が支払うけれどトップ者の支払いが他の三人よりも多いというシステムの三つだ。
ず~っと昔には、他の博打同様にトップ者の一人払いというのが一般的であったろうと思われる。 今でも方々に残っているし、ブーマンならば 100 %これだ。
しかし、都心部ではもうほとんど見ることができない仕組みになった。 そして地方でも少しずつ姿を消しつつあるようだ。
この変遷の根底にあるのはフリー雀荘におけるギャンブル性減少ではないだろうか。

アタキ自身の感覚で言えば、一般的なフリー雀荘のレートというのはこの二十年間、相対的に下がってきているというイメージがある。
四人打ちのリーチ麻雀クラブのレートは百円か二百円というのが二十年前の相場で、今でも変わらないどころか五十円のクラブや、中にはノーレートなんて所もある。
勿論、大きなレートのヤばい場所だってあるのだが、そんなのは二十年前にもあったのだ。 赤ドラやドジョウなんてオプションが付いたとはいえ、この二十年間の物価の上昇度合いに比べればしれたものだ。
卵の値段とフリー雀荘のレートは二十年間、変わっていないのだ。
そしてテラ銭の方はというと、これはクラブを経営していくための資金なわけで、物価とともに上昇していったのはいうまでもない。
このような事態になってしまっては、トップ者の一人払いというシステムは成立しようがない。 なぜなら、せっかくのトップなのに、そこで書き集めた金銭の半分も店に吸い取られたのでは間尺に合わないと誰もが感じる筈だろう。 これでは客は逃げてしまう。
そこで、四人全員からの徴集システムの方が広まったのだと思う。
四人全員から徴集する方が、博打的な匂いを消しやすいという意見もあるだろうがあまり的を得ていない。
どんな風にやっても、レートとルールを決めて営業している以上は、管理賭博罪の適用は可能だ。

フリー雀荘の場代がテラ銭というよりはゲーム料金的な意味あいになったのはこんなわけだが、もうすぐ、ボーリングやカラオケみたいなのと同んなじ感覚になっていくのは趨勢だろう。
そうなってもアタキは嬉しい。麻雀できればもうそれだけでいい。
だけど真面目に打ってほしい。