麻雀打ちの頁/雀のお宿

牌をツモって捨てるまでの動作(摸打)を一定の速度に保つことの重要性について。テンポ・リズム・スピード、どれも重要で、欠かせない要素だと思う。サクサク、打とうよ。

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モータースピード

モーターは摸打のことです

ずっと、ずっと、思ってた。
こんなに長い間、思い続けてたのに、口に出せないでいた…。

勇気を出して(笑)、「摸打が遅い奴は嫌いです」
あ、言っちまったー!

「摸打が遅い人には麻雀やめていただきたい」
「サクサクやんなさい、サクサク」
「将棋じゃネエんだから、そんなに考えたって、仕方ねえだろ」
「それに、あんたの頭で考えたって、たかがしれてるゼ」
牌山を崩すよりも、立直後に他人の手を覗くよりも、見せ牌よりも、遅い摸打は、タチの悪いことだ。
先ヅモはマナー違反でなくイカサマである」という意見には大賛成のアタキだが、遅い摸打は、先ヅモよりも悪質な行為であり、チョンボの対象にすべき卑劣/愚劣/極悪非道なことだ。
何故、遅いのが悪いのか、本当に非道いことなのか、そこまで言うほどのものか、初心者に対しても当てはまることなのか。 はい、そうです。いつまでたっても摸打が遅い人には麻雀をやる資格はありません。
あ、いえいえ、勝手にやるのは構いませんが、アタキは一緒に囲みたくありません。

ホントに言っちまったゼ (^_^;;

麻雀は普通、三人か四人の打ち手が協調し合って楽しむゲームだ。 誰か一人が欠けても半荘は成立しないし、逆に増えた場合でも違う性質のゲームに変わってしまう。
いや、変わったってアタキは別に何も困らないのだけれど、麻雀が麻雀であり続けるには、各人の協力が不可欠だというのは明らか。 麻雀に限った話じゃない。 複数の思惑が混在するコミュニティでは、ルールがあり、罰則があるもんだ。
ルールのレベルにも色々あって、誰もが破ることが不可能なレベルの公理的なものから、人としての本能とは別の方向に行動を義務付けるルール(この場合には、このルール=規制がゲームを面白くしていることが多い)や、さらには罰則を設ける程のものではないモノまで様々だ。 一般にマナーと呼ばれているほとんどの規制も広い意味ではルールの一部であり、かなり緩いルールであるに過ぎないか、認知の度合いが低いせいで別の言い方がされているだけだ。
ルールとしてうたってないから、という理由だけで、何をしても良い、というようなことは通用すべくもない。
例えば、将棋の対局中に、駒をマジックで塗り潰したりするのはどう考えてもルール違反である。 野球で十五メートルもの長さのスパイクを履いて、一塁を守るのもよくないし、毎回、念力(フォースかテレキネシス)でホールインワンしてしまうのもダメなのだ。
これらのルール違反は、ルールブックに明文化されているわけではないけれど、誰にとっても明らかなルール違反であり、こんなことを許してしまってはゲームが成立しないにも関わらず、明確に規制されているわけではないのは、わざわざ取り立てるまでもない常識的なことだからだ。
同じように麻雀でも、ツモってから牌を捨てるまで、毎回毎回、一時間以上も考えるのが、暗黙のルール違反であることに異論をとなえる者はいないだろう。 半荘に制限時間が設けてあるような大会で、東の一局の親番が第一打を捨てる前に二十分間、長考してしまう行為が許されるだろうか。
勿論、ペケである。 こんな奴は出場停止である。 出禁である。 死刑である。 ムチでオシオキである。

では、二十分間がダメなら何分なら許されるのだろうか。
一メートルの長さのスパイクなら許されるのか、駒に鼻クソを付けるのは良いのか、三分間の長考ならOKなのか。
こんなのは、全部ペケだ。
スパイクの長さが何センチまでなら良いか、将棋の駒をどの程度まで汚しても構わないのか、牌を捨てるまで何秒くらいまでなら遅くともOKなのか、これらの疑問は、本質的ではない。 これらの疑問を取り立てて口にする輩は確信犯、友人にはなりたくないタイプの人間だ。
普通に考えれば、スパイクは自分の足にそれなりにフィットした長さでなければいけないし、故意に駒を汚すのはいけないことだし、ツモったらさっさと牌を切らなければダメだ。 そうしないと野球が野球でなくなる。 将棋どころではなくなるし、そして、麻雀とは別のゲームになってしまうかもしれない。

サクサクという副詞は、麻雀から生まれた言葉の一つ(だよネ)。
こんな言葉、二十年前には無かった。 このサクサクが市民権を得た背景には、サクサク打たない打ち手が多く出現し、そしてそれを悪いことだとの認識を持たない人間が出てきて、更には良識ある麻雀打ちがそのことを非難する、という構図がある。
きっと以前は全員がサクサク打っていたか、そうでないことを誰も気にしなかったのか、気にしても非難できない状況だったのか、のどれかだった筈。 もしかすると、その全部だったのかもしれない。

サクサク打たないのはよくないことだ、という当たり前のことを大っぴらに言える風潮になってきたのも事実だ。
有名なところでは、雀鬼・桜井章一の言葉。
「遅いのは考えているのでなく、迷っているのだ」
「迷いを断ち切れ、心を揺らすな」
アタキ的には、誰がどんなに迷おうとも心を揺らそうとも構やしないが、遅いのがイカン、というのには大賛成。

アタキは精神論とは別の部分で、雀鬼流のいくつかの規制について大いに賛同している人間だ。
他にも「第一打の字牌切り」「南二局からの和了規制り」「満貫和了ったら半分振り込めり」なんかについても大いにウンウンと思ってるのだけれど、その理由が雀鬼とは全く違ってたりするので困っている(笑)。

雀鬼流では、打牌にかける時間を二秒(三秒)と決め、それ以上だとペナルティを課すが、我々が通常やってる対局でペナルティなんて現実的じゃないし、アタキはペナルティなんてヌルイという気もしている。 そんなのは死刑だ。
雀鬼流での規制の多くは、麻雀を楽しむ為というよりも漢を磨く為のものらしいのでこれ以上はツッコみたくないけど、だけどその根っ子の部分には、うにゃむにゃうにゃむにゃ、ってな感じがしてる(何だー)。

一般的に言えることは、麻雀が上手な打ち手は一定のリズムで摸打を繰り返している事実がある。
どんな競技/職業/趣味の世界にあっても、名人(上手)の所作には無駄がなく、そのすべてについて論理的かつ科学的な根拠が存在するような気がするのはアタキだけだろうか。
中でも多くの名人が当然のように行っているちょっとした行為、単に『癖』としか思えないような仕種、それらには明確な意味があるように思う。
ボーリングのボールの穴に入れる指はどの指でも良さそうなものだけれど、多くの人は人指し指を入れることはないわけで、根っ転がって歌を歌ったって誰に迷惑がかかるわけでもないのに、録音スタジオで仰向けになってるシンガーが見当たらないのには、たぶん、そう明確な理由があるに違いない。
麻雀が上手な人々が概ね一定のリズムで摸打するのにも、それなりの意味/意義がある筈だ。
いや、もしかすると一定のリズムで摸打を繰り返すことができる人間だけが、ある水準にまで達することができるのかもしれない。
そう考えると、理由はともあれ、アタキ達、一般の麻雀愛好者がそうする必然みたいなものが見えてきそうだ。 だって、下手のままよりも、少しでも上手になった方が、もっともっと麻雀を楽しめそうなのは明白だもの。

「強くなるために素早い摸打を心掛ける」
この論理はそれだけでも魅力的だけれど、こう聞いてもなお、「強くなくったって構わない」「楽しいのが一番さ」という浅はかな返答をする輩だって世の中にはいる(ごめんよー)。
だけど、アタキは言い返すことができる。
「もっと楽しむために素早い摸打を心掛け」ているんだ、と。
あなたはどうだか知らないが、アタキはかなり忙しい人間だ。
限られた時間の中で、Fクラブで囲まなければいけないし、K荘にも顔を出さなければならないし、Sに入った新しいメンバーにも渡りを付けておかなければいけないし、Jに二週間も行かないと心配したオーナーから電話が掛かってくる。 もっと色んなルールで、多くの人達と麻雀を楽しみたいし、ネット麻雀だって(本当に)やってみたいわけだけど、あなたの摸打がそんなに遅いとアタキの目論みはパーになっちまうわけで、そう、時の刻みはあんただけのもんじゃないんだ。

実は、こんな個人的な要件で、他人に素早い摸打を押し付ける気はあんまり無いのだけれど(全く無いわけじゃナイ(笑))、摸打が遅い人間は不必要に他人に迷惑をかけているんだ、ということくらいは認識しておかなくちゃいけない。
あなたが理牌しなくても全然オッケーだけど、そのせいで摸打が遅くなってるとしたら、他の三人に対して、かなり失礼な話だろう。
メンチンの聴牌が分らなくって迷ってしまうのは充分に理解できるけれど、他の三人に迷惑をかけてまで、そのメンチンをモノにしたいのだろうか。
他人に不愉快な思いをさせるくらいなら、ノーテンにした方がずっとマシだとは思わないのか。 まぁ、普通は思わないかもしれないけど、世の中にはそんなレベルで麻雀を楽しんでいる人間もいるってことを知っていてもらいたい。
だけど、摸打が遅いことを何とも感じない奴らというのは、基本的な対局マナーがなっていないことがよくあるので、これはとりもなおさず、他人の目なんておかまいなし、自分がアガレりゃそれでイイというタイプだから、聞く耳を持たなそうな気もしてきた。

おうおうおう、そこまで言うか、初心者の立場はドーナルー!
はいはい、もっともな御意見です。
アタキだって、もっと多くの人に麻雀を楽しんでもらいたいし、初心者を排斥しようなんて、これっぽっちも思ってません。
初心者の場合、ただ単に、どの牌を切るのが一番、聴牌に向かうロスが少ないかを考えるために、捨て牌までの時間がかかることがある。 あ、こんなことなら雀歴二十年のアタキだって考えることはしょっちゅうだ。 うん、お恥ずかしい。
でもでも、聴牌へ向かう最善の選択が、実際のその場面で本当に最善の一手かどうかはなかなかわからないし、そんなことを考えるよりももっと大事なことはいくつかあって、例えば「この牌を切るのがベストなのかどうかは不明だけれども、今、自分はこの牌を切るゾ」みたいなことを覚えておく方が、つまり、覚えておく努力をする方が上達という意味では大きそうだ。
麻雀はフォームだ、と最初に言ったのは雀聖・阿佐田哲也だけど、他人に不快を与えないフォームを初心者の内に身に付けておけば、多くの麻雀仲間ができるだろうし、素敵な麻雀ライフを楽しめるような気もするんです。
ね、初心者であればこそ素早い摸打を、というのはそんな訳です。

偉そうなことをグダグダと言ってるわりに、自分の中でウマイ説明ができないこともかなり多い。
最近、「盲牌はイケナイ」という言葉をよく聞くようになった。
アタキはその理由が納得できないので、ダメだなんてちっとも思わないのだけれど、ルールとして定まっている大会に出場する機会がもしもあれば、渋々、従うに違いない。
でもでも、盲牌なんかよりも、ずっとずっと罪深いのは遅い摸打なのだ。
理由は、と聞かれるとチト辛いのだけれど、つまり、そういうことだ(何が、つまり、だ(笑))。 知ってたぁ?

アタキは昔、あるクラブのマネージャーに注意されたことがある。
「百貫さん、もうちょっと我慢してくださいヨォ」
また、別の友人(雀荘仲間だ)から、「遅いからって、そんなにニラミつけるのはヤメチくれ~」と言われたこともある。
摸打が遅い人間に出会うと、彼の頭の中がどうなっているのか興味が湧いてくる、 というのは大嘘だけど、とにかく苦手なわけで、中にはそれを逆手に取るべく、アタキの上家で故意に牌を切ろうか切るまいか出し入れする奴がいたりする(マジ)。
ここまで来るともう麻雀とは呼べない。 我慢くらべ(笑)。

何秒までなら許せるか?
許容できる範囲を決定するのはあまり意味の無いことだけど、遅い摸打なんて言い方がかなり主観的な物言いなので、よく聞かれる質問だ。
アタキの答えは、「自分以外の三人の内、最も遅い人間が所用する時間の五割増しまでが限界」というものだ。
他の三人が毎回二秒で摸打を繰り返しているのなら、三秒以上かけるのはダメだし、四秒かかっている人間が他にいれば六秒くらいまでは許しても良かろう、というかなり甘い制限。
だけど、一つの卓に二人以上の無知な打ち手(遅い摸打を悪いと思わない奴ら)がいたりすると厄介だ。 そんな場合には、アタキはラス半コール、別の卓で囲む、なんて非常識なことはできないので、別のクラブに行くことになる。

麻雀の楽しみ方には色々あるし、麻雀との関わり方も人それぞれ、千差万別。
ワイワイガヤガヤ、ダジャレを言い合うような仲間内で囲む卓は楽しいし、「ヤッター!」と言って、役満を和了るのも絶対に素敵なことだ。
だけど、「立直の前には必ずリーチと発声しなければいけません」という規制を設けての麻雀もまた格別で、麻雀というゲームの本質的な楽しみを深く味わえる一つの楽しみ方であることは言うまでもない。
卓に付いた全員が、一定のモータースピードを維持し、はっきりとした発声を行い、サクサクと局が進行していくのはかなり気持ちイイ。
もしかすると、役満を和了るよりも気持ちイイかもしれない。