アタキの職業は麻雀打ちではない。
実はプロミュージシャンである。
音楽で生計を立ててかれこれ20年近くになり、超裕福とは言えないまでも同世代の人間の平均以上の稼ぎを得てそれなりの蓄えがあり、家族を養っており、ちょっとしたボランティア活動や福祉活動にはまぁ積極的に参加するタイプの良識ある人間でもある。
そんなアタキだから周囲の人間はアタキのことを心から尊敬しており、ことあるごとに様々な相談や依頼を持ちかけてくる。地方選挙の応援演説に駆り出されたり、ベンチャー企業設立時に資本参加を求められたり、名付け親や仲人になることも多く、そうした雑事が本業の音楽活動にも支障が出ていないといえば嘘になる。
困ったことではあるが、根っからの性分というか、困っている人を放ってはおけない性格なので仕方ないとも思う。
…なんて事は、大嘘である。ごめん。
どの部分が嘘っぱちかと言うと、実はどの部分も嘘っぱちである。本当にごめん。
さて、アタキは先ほど「シャミをひいた」のだろうか。
アタキが今言った大嘘は、シャミとはチト違うと思うのだ。
では、本来のシャミとはどういった類いのことを指すのだろうか。
今回はシャミ、三味線についての真面目な考察だ。真面目なのは毎度のことだけど(笑)、テーマがテーマなだけに、どんな展開になるのか自分でもとても楽しゃみせん。
三味線をひく、シャミをひく、あるいは単に三味線と言う場合もあるが、勝負の最中に相手をだます行為の一つだ。
芸者遊びにも飽きてしまった旦那がヒマにあかせて三味線の一つでも習おうかってな感じで、元々は「現役を引退して悠悠自適の生活を送る」なんてーのが、「三味線をひく」という言葉の意味だった。
しかしその実、その旦那の本当のお目当ては、三味線を教えてくれるお師匠さん(当然、自分よりも若く美しい女性)だったりするわけで、「下心を持って相手に接する・本性を隠す・猫っかぶりする」なんて意味で使われるようになった。特に「猫っかぶり」「猫をかぶる」という意味は、三味線の腹の皮が猫の皮でできていることとも相まって、実はそれが本来の意味だという解釈もあるくらいだ。
とにかく「下心を隠して何気なく相手をだます」ことを「三味線をひく」と呼ぶわけで、麻雀以外では「実力を隠す」「練習をサボる」「野心を抱きながら隠遁を気取る」「痛くないのに痛い振りをする」「得意技を見せない」なんて意味で使われているようだ。
そうしたグローバルな観点(?)から考えるに、半荘の際中に、ただ嘘を付くというのはシャミには当たらないという気がしてきた。シャミと呼ぶには、もっと明確な悪意を持って相手の不利益(=自分の利益)につながるような演出が必要だろうと思う。
いや、正しいシャミとはこういうことだ、なんて話にはならないので安心しちくれ。
最も原始的なシャミは嘘を付くことである。嘘つきは泥棒の始まりなだけでなく、シャミの始まりでもある。
何の失敗もしていないのに、
「失敗したぁ」
とか口にするのは、とても単純な嘘で、シャミとしてはかなり低レベルのものだと言えそうだ。
いや、それはシャミとは言わない、という意見もあるように思う。
アタキ的には、「失敗したぁ」と口にするからには、やはり何らかの失敗をしていてほしい。例えば、
「(実は今、メンチンの七対子が聴牌しているが、ただの七対子でなら既に和了っていたゼ)失敗したぁ」
だとか、
「(三色狙いなら、ドラをツモ切りせずに済んだのに)失敗したぁ(でもダマ満、聴牌しているゼ)」
などのように、まぁ、見方によればそれは失敗したと取れなくもない(実は、失敗ではないのだけど)ような場合にだけ口にするのが良かろうと思う。
ヒドイ奴になると、
「失敗したぁ(さっき飲んだユンケルが効きすぎるゼ)」
だとか、
「(さっきの半荘でのオーラスでのリーチは)失敗したぁ」
なんて、その「失敗したぁ」が、捨てる牌とは全然無関係の所での失敗のことを指している場合なんかもある。
だけど、常識的には、「失敗したぁ」って口にした後の立直宣言や、和了宣言は許されないのが普通であろうし、クラブによっては聴牌宣言も無効とされる規則があってもおかしくはない。
なぜなら麻雀という競技の中における「発声」という行為はそれなりに意味のある行為であり、競技の進行にとって欠かせない「発声」によって競技とは無関係な情報が対戦者に届くというレベルでなく、明らかに間違った情報を故意に流すことで自分を有利な立場に置くというのは許されないのが普通だからだ。「失敗したぁ」と口にした後の立直宣言なんて事態は、「りいーっ」と言って「立直とは言ってない」とほざくのと同じ類いのイカサマであろう。
「ぽ、ぽ、ポンポコリンのすっぽんポン」や
「チイ、っとも、お腹が空いていない」や
「ロン、より証拠の、自摸切り立直!」なんてーのも同様にイカサマ、と言うか、明らかなルール違反だ。
勿論、アタキも含めて多くの麻雀愛好家が囲んでいる麻雀では、ある程度のワイワイガヤガヤ、軽口は許されているかなり温い環境にあり、無意味な発声についてあんまりとやかく言うと角が立つことも多いにあるわけで、イヤ、当然、良くないこととの共通認識はあるものの、ゲームに全然無関係な軽口ならば、まぁOKみたいな雰囲気もあって、これは(度を越しさえしなければ)フリー雀荘でも当てはまることである。
ここで問題になるのが、どこまでの軽口ならば許されるかそうでないか、言い換えると、どこからがシャミ(=イカサマ)に相当するのかどうかという点であって、こういう発想そのものが確信犯的な匂いを帯びてて個人的には嫌いなのだが、ええ~い、キーボード打つ手が止まらない。
一般に言われていることは、
「自分の手牌に関する言質はダメ」
というものだ。
自分しか知ることのできない情報(自分の手牌)についての言い分は、それが本当の事であっても嘘であっても、言ってはいけないということは広い認知を得ているようだ。本当のことであってもダメ、という点は特に大事なことのように思う。
では、他の打ち手の手牌に関することは言ってもいいのだろうか。あるいは、自分の手牌についての言質よりも罪は軽いのだろうか。
「親のリーチは、36筒待ちだな」
「飜牌のバックブリーカーを狙っていそうだ」
これは想像であると同時に、推理でもあって、推理の材料としては自分の手牌も利用するわけで、そうした推理結果を披露することは、自分の手牌に関する情報をオープンにすることにつながるので、やっぱ、ダメなのが普通だ。これが間違った情報であれば、よけいに罪が深いし、間違っていなければそうした推理結果を得ることのできない打ち手に有利な(=推理された打ち手にとっては極めて不利な)状況を作ってしまうので、ダメなのは当然の話。
はい、結論。
今、進行している局の手牌に関する発言はダメ、なのである。
さっきの局の手牌ならば、まぁ、許されそうでもある。鬱陶しいことには違いないケド、…。
また、「リーチ」「ポン」「ロン」「チイ」「カン」などと取り違えられる恐れのある発言もペケ、だろう。
つまり「ピーチ」だとか「パン」だとかを口にすると、他の三人が勘違いしてしまうし、こんなのが許されるなら、アタキだったらそう言った後の三人の反応を見て、手を進めるに違いない(笑)。
だけど「じゅげむじゅげむ」や「セブンスター」や「ドリンク、頂戴!」みたいな発言は許されるということでもある。ただ、イントネーションには気を付けなければならず、「ど、ロン!こ、ちょうだい」は、絶対にペケ、である。
はい、結論(ってほどのことじゃないケド)。
ゲームの進行を左右する発声と取り違えられるような可能性のある発言はダメ、なのである。
後は点数申告の時くらいかな、そうだよな、それくらいだ、うん。
「ロン、インパチ!」
一本場の荘家で平和のみを出和了った時によく口にされるが、これは許してあげよう。
どうせ、ゲームは一区切りついたわけで、次のゲームまでのインターバルと捉えて、この時間帯には何を言っても良いことにしよう。アタキは許してあげます、はい。
はい、結論。
荘家が配牌のチョンチョンを取って移行、荒牌するまでの間でなければ、何を言ってもかまわない、だ。
だいぶ、シャミが見えてきた。
ゲームの進行中に発せられる軽口の内、自分の手牌の進み具合や自分の選択についての感想、もしくは手牌そのもの、それに進行を左右する発声と取り違えられる可能性をもった発言の一切を、シャミと言う、である。
そうでなければ(それ以外の発声は)、他の三人がそう思わない限りシャミではないのだ。
ふむふむ、他の三人が、というのは、重要なことだ。
アタキのように知能が他人よりも発達したシャミの名人の場合に、よくやるのが、他の二人にはシャミとは気付かせずに、ただ狙った一人に対してシャミを発するという口頭テクニック、じゃない、高等テクもある。
それがどんなシャミなのかはここでは明かせない(笑)。
数あるシャミの内、最も頻繁にお目にかかれるシャミは、
「オりたぁ」
と言った数巡後に和了る、という類いのものだ。
ツモ和了りならともかく、出和了なら血の雨が降るかもしれない。
ところが実際には血の雨なんて降らないのである。
何故かというと、血の雨が降る可能性のある卓(=上の行為は悪質なシャミであると囲んでいる四人全員の認識が共通している卓)ではこのようなシャミは誰もしないし、このシャミが通用するのは、この行為をシャミであるとは認識していない打ち手どうしで囲まれている場合だけだからだ。
あまりマナーにとらわれることのない仲間内でのワイワイガヤガヤ麻雀(勿論、誰もが経験のある、学生時代に友人の下宿で徹夜で囲んだ麻雀のことだ)では、この「オりたぁ」という言葉は、相手をだます目的で発せられたわけではないか、だます目的であったとしても、たいした罪には問われないものであるか、もしかするとそうした行為も麻雀コミュニケーションの一部であると暗黙の共通理解がされているか、その言葉を発した瞬間には実際には「オり」ていたが、次巡にはまた復活したのかもしれない、ということを察してあげているか、誰も他人のそうした一言に注意を払っていないか、などの場合が想像できるが、どれも似たような卓であり、アタキはこの「シャミにヌルい卓」を「バーリトゥードの卓」と呼んでいる。
和了の規則としてのアリアリとは無関係だが、基本的には何でもアリ、という意味である。
バーリトゥード、とは言っても、牌をすりかえたり、二枚よけいに持っていたり、六対子でロンと言ったり、というようなイカサマ行為は許されていない。
バーリトゥードにもルールはある。言葉やちょっとした仕草以外は、基本的なルールに従わなければいけないわけだ。
あ、話がシャミとは少しずれてきた。バーリトゥードの卓については、次回以降のネタにとっておこう(笑)。
アタキの得意技の一つに「ロンでもないのに、他人の捨て牌に対して、いかにもそれがロン牌であるかのように振る舞い、それを捨てた打ち手をドキリとさせる」「今にも自分の手牌をオープンしそうにする」というものがある。
「幻のロン」と呼んでいるのはアタキだけで、いつも他の三人の不評を買っているのだが、なかなかヤめることができない。
聴牌していなくともアタキはつい「幻のロン」をやるのだが、実際に聴牌している時には、本当のロン牌と全然関係の無い牌でやらなくちゃいけないので、かなり気を使うのも事実だ。
何のためにそんなことをやるのか。
アタキはいつもヒマなんである。
「ロンの練習」と言い訳することもあるが、実はただのヒマ潰しに過ぎない。
いまだかつて、アタキの幻のロンをシャミであると指摘されたことはないが、よく考えてみるとこれは立派なシャミである。
シャミに立派な、というのもおかしな話だが、アタキは他人からこれをされるのを、多分、好まない。
自分のシャミの罪にはなかなか気付きにくいものだ、なんて所を結論として、今回の放言は終わろう。
「幻のロン」の極悪度について、アタキが本当に意識していなかったか否かは、議論の余地があるかもしれない。
でも、他人がドキッとするのは、めちゃ楽しいのである。
ごめん。