麻雀打ちの頁/雀のお宿

盲牌(もうぱい)の意義と利点に関する真面目な考察。盲牌の勧め。盲牌のメリットとデメリットは何か、人はなぜ盲牌するのか、なぜ盲牌しないのか、本当に悪いことなのか。

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盲牌(モウパイ)のススメ

そんなに悪いことじゃなかろう

アタキはかなり真面目な人間だ。
誰も言わないから自分で言うけど、かなり生真面目で正直で真摯な態度で物事に当たるタイプの人間のアタキは今日もマジメ。
盲牌のススメ、マジメな話だぁ~!

ある経営コンサルタントに貰った名刺に、ブツブツした突起があった。
同席していた奴が「これは何ですか」と尋ねたが、アタキにはスグに理解できたさ。 それは、点字なのだ。
そのコンサル会社の社名の通り名を点字にしたものだ。 正式な社名でなく、それを縮めたものだったのは、登記された名前だと長くなりすぎるからなのだろう。
「・・・、・・・・」アタキが偉そうに読むと、周囲の皆、驚いた。
ははは、アタキは麻雀打ちで、盲牌する人間なのだ。 あの複雑な三十四種類の絵柄に比べると、点字の六個の突起なんて雑作もないことだ。
ただ普通の人とチト違うことがあって、それは、人指し指や中指を使って読むのではなく、親指でしか読めないってことだ。 うん、笑うのは躊躇われる場面だけど、ここに(笑)とか(汗)と入れとくれ。

祖母さんが死ぬ数日前に寝たきりの体を少し起こして、いつものように肩と首筋のマッサージをやった。
「あぁ、ノバーキ(アタキのこと)の片もみが一番、気持ちイイ、あぁ極楽、極楽」
そう言って彼女は逝ってしまったが、強すぎず弱すぎず、ちょうど良い加減で彼女の肩を押してあげられるのはアタキだけだった。
そう、アタキは麻雀打ちで、いつも盲牌してるので、右手の親指の感覚は他人よりもスルドイのだ。 たまには左手も使って麻雀を打っていれば、彼女はもっと喜んでくれたかもしれない。 そう考えると少し、悔しい。

教訓「人指し指でも盲牌できるようになろう」
教訓「左手でも盲牌できるようになろう」
なんてことのワケがない。ごめん(どこがマジメなんだ)。

麻雀を覚えた頃は上手な打ち手に憧れていた。
ちゃちゃちゃっと自山を積んで、サイコロが出たらスグに開門して、摸打が素早く、多面待ちでも迷うことなく、他人の手でもスグに点数計算ができ、そして、盲牌できる。
盲牌できること変則多門張の聴牌を間違えないことは、初心者のアタキにとって大きな、そしてとても大切な、クリアすべき技術の一つだった。
麻雀やり始めた友人の中で、盲牌できる奴は尊敬された。
だから皆、盲牌の練習に精を出した。

索子が一番最初にワカるようになった。
だけど、時々六索九索を間違えた。
次に覚えたのは筒子だけど、八筒九筒の区別がつくようになってこれで筒子と索子は制覇したゼ、なんて思ってたら、思わぬ落とし穴があった。 一索七筒をよく間違えるのだ。
面白いことに、一索をツモって七筒と思うことはあっても、七筒のことを一索だと勘違いしたことはない。
やがて、字牌と萬子の区別がついてからは、人との対局でも実際に盲牌をやるようになっていったが、立直を掛けた後に、筒子待ちや索子待ちの時だとサクサクやるのに、萬子待ちだと一々、牌をめくる自分に気付いて、こりゃイカンと思った。
盲牌なんてやるもんじゃない、って思ったのではなく、早く完璧に盲牌を身につけなくちゃイカンなと(笑)。
三萬八萬伍萬九萬發南等をよく間違えたような気がする。
いつでも、というわけではないけど、じきに赤三萬赤伍萬などもわかるようになった。
いつのまにか、自然にわかるようになっていた。

いつのまにか、わかるようになってたというのは、多くの打ち手が共有している記憶の筈だ。
最初の内こそ、必要以上に親指の腹にチカラを入れ、んんんっとツモってたけど、いつのまにかそんなことしなくてもよくなってた。
ついつい、わかるようになってしまってたのだ。
ほとんどの麻雀打ちがそうであるように、今では牌の表面に親指が触れた途端にその牌が何なのかわかる。 数字だとか、字牌だとか、考える前にその牌が何なのかわかる。
だから、アタキの場合、その牌が「東」だということがわかってもそれが逆向いているのかそうでないのかは、考えないとわからない。 「七萬」だということがわかっても、「七」の部分が上なのか下なのかは瞬間的には理解できない。ただ「七萬」であることがわかるだけだ。
指で彫ってある文字を読んでいるのではなく、三十数種類の感触のパターンが身に付いてるのだ。

多くの日本人は「大阪」という文字を目にした時に、「大」と「阪」が続いているから、大阪のことだな、という手順で理解するのではない。
それは一目見て「大阪」なのだ。
「大きな阪」だとか「大勝ちした阪神タイガース」だとかを考えるのではなく、ただ「大阪」という都市の名前だとスグに理解してしまう。 これは字面をパターンとして学習してきたからで、だから「太阪」や「大坂」という文字をパッと見ても、「大阪」だと思ってしまう可能性は高い。

小学生の頃に「おおさか」と読むことを学んだけれども、一度読めるようになってからは、解読しているのではなく、ただ感じているだけなのだ。
何も文字に限った話じゃない。 車のギアチェンジ、百円ライターを点ける時、買い物をしてお釣を貰う時、あれこれ考えるよりも先に適切な行動を自然に選択してしまう。
勿論、慣れていないうちには、612 円の買い物をして、1112 円を渡すなんてことはできないかもしれない。 ところが、アタキくらい達人の域になるとササッと 1389 円を渡して、レジスタのお釣の額を見てニンマリするのだ。

そう、ただ慣れの問題に過ぎないのかもしれないけれど、牌の表面を触っただけで、何なのかが、ついついわかってしまう。
その「つい、わかる」という点はかなり重要なことのような気がする。

さあ、本題に入ろう(今までのノーガキは何だぁ(笑))。

盲牌にメリットはあるのだろうか?
あるとしたら、それは何だろう?
アタキは、何となくカッコイイ、というそれだけでも十分な利点だと考えていた。 が、よくよく思うに、意識してやってれば半年もかからずに盲牌できるようになるわけだし、それ程カッコイイものでもないような気がしてきた。
それどころか、初心者の頃に憧れたドーデモイイ技(ワザ)をいつまでも使っていることは、逆にカッコ悪いものかもしれない、てな気もしてきた。 困った。

盲牌することで、上家と下家にツモ牌を見えにくくする(不注意による見せ牌を防げる)という利点は、最近、言われ出したことだ。
ん~、これだって、普通にスーッとツモりさえすれば両脇の人間に牌が見えることこそ異常なことで、もし本当に、盲牌で(つまり親指によって表面を隠さなければ)両脇に牌が見えるかもしれないような仕種で自摸するような奴は、そもそも基本的なツモアクションに問題があるんじゃなかろうか。 いや、きっとそうだ。何かおかしい。
無駄な動きが多いに違いない。 絶対、そうだ。

盲牌だと牌に触れた途端に何の牌だかわかるので、自分の近くまで持ってきて目で確認した後に、どの牌を切るのか考えるよりは素早い打牌が可能。
うん、他の三人に迷惑をかけない、という意味において、素早い打牌というのはかなり強烈なメリットかもしれない。 だけど目で見るのと盲牌するのとそんなに違いがあるとは思えない。 本当にササッと自山の近くまで牌を引き寄せることができるのなら、目で確認する方が早い場合も考えられる。
うひゃーっ、なんてことだ。 盲牌することのメリットなんて、全然無いじゃん。

メリットが無いからと言って、一様に悪いことだとは言えない。
どんなデメリットがあるのか、考えてみることも重要だ。

…、普通ならここでヘンな理屈こねまわして、いくつかのデメリットの候補を掲げるのがアタキのやり方なのだが、この件については何の例も思い付かない。 そう、マジで、何のデメリットも無いような気がするのだ。
あえて言うなら、無駄な動作をしない、というマナーの基本精神に反するからなんてーのがあるけど、無駄か無駄でないかは、その動作に要する時間的な量に依存する前提が明らかだから言えることで、少なくとも、アタキのような打ち手は「ついつい、わかってしまう」ので、盲牌するからと言って、他人より摸打が遅いなどということは一切ない。
他人にどんな迷惑をかけているのか、どう考えても思い浮かばない。
あ、例えばこんなのはどうだ。
昔々、盲牌できるようになろうと一所懸命に練習したけども身体的なハンディキャップにより、どうしても盲牌が身に付かなかった打ち手に対してこれみよがしに盲牌の仕種を見せつけるのは、かなり失礼なことだ、という例。
こんな奴には、出逢ったことないので却下である。

他人に対してのデメリットでなく、自分自身、もしくは麻雀の神様に対して礼を逸するようなことは考えられないだろうか(麻雀の神様に対して礼を逸する、というのは、麻雀という競技をナメてるってーことだ)。
もしそうなら、アタキにとっては重要な問題だ。
麻雀の神様に愛されるように心掛けているつもりのアタキだからだけどう~む、やっぱ、そんなことは考えにくいよなぁ。

おっと、忘れてたことがある。
盲牌を奨励するようなことを初心者に言ってしまうことの危険性はありそうだ。
ただでさえ摸打が遅い初心者に対して、できもしない盲牌、あるいは目で確認するよりも時間がかかる盲牌を説いては、他の三人に迷惑がかかっちまう。 それに、ヘンにリキ入れて牌をツモる仕種というのもいただけない。
ちゃんと言おう。
見るより遅い盲牌なんてヤメなさい」
アタキの本音が、「もっとスムーズな盲牌ができるようになりなさい」というのは勿論だ(笑)。

そもそも、盲牌が悪いことだなんて言い出したのは誰だろう。
先ヅモがいけないのは当たり前のことだし、遅い摸打がハタ迷惑なことは言うまでもない。
だけど、何故、盲牌がイケナイの?
ちゃんと自分がツモる番になって、牌山に手を伸ばし、手牌の方に持ってくる間に牌の表面を触り、そのコンマ数秒の間(手を引き戻す間)に打牌を選択する余裕があるので、持って来てから確認するよりは、どう考えてもスピーディな動作。
山の付近で少し牌を上げて、こっそり下から覗くなんて姿勢はカッコ悪いだろ、普通。

まったく逆のスタンスとして「そんなに急いでドースンの?」「持ってきてから牌を見ればイージャン」という声もあるのかな。
そりゃそうだ。常識的な範囲でなら、そんなに慌てる必要はない。 しっかりと牌を確認して、じっくりと考えて打牌すればいいさ。 あなたがサクサクやってる以上、アタキはそれに文句を言うつもりはない。
ね、ね、だから、アタキの盲牌だって許してほしい、って言うか、こっちも文句を言われる筋合いはないように思うんだけど、ね。

「裏プロは盲牌なんて無駄なことはしない」
だからぁ、そりゃ、無駄な動きの多い盲牌のことでしょ。
普通に無駄なく盲牌モーションするアタキ達、多くの麻雀打ちには通用しない理屈だよ~ん。 ま、それに、裏プロなんてドーデモイイし、ね(笑)。

盲牌のススメ、ってーよりは、盲牌禁止に対する反論、というかなり柔らかな論調に終止してしまったけど、本当に言いたいことはまだある。

盲牌することで遅くなるのだけは勘弁してね>ジャコくん(友人)。