推牌に時間をかけよう
相手がどんな手で聴牌しているのか、どんな牌姿で立直をかけたのか、なかなか簡単には判らないし、看破できることなんてとてもまれなことだけど、それでも考えながら摸打を進めることは重要なことです。
立直者の捨牌だけに注目するのではなく、それに対する他者の対応などからもいろんなことを推理することができます。
何も考えずに、ただ『絵合わせ』的に自分の手を進行させても麻雀の醍醐味は味わえません。
ゆっくりとじっくりと時間をかけて、脳細胞をフルに働かせ、この一打しかない!という境地を見い出して、常に打牌するように心掛けましょう。
また自分が時間をかけることで、下家がイラついたりして、ポカをおかす、なんてことも期待できるかもしれません。
半荘に制限が設けられているような大会で、もし自分がプラス状態ならば、制限時間ギリギリまで粘ることはとても重要でかつ効果的な戦術です。
自分なりの理論を確立し、それに従おう
およそどのような競技においても何らかの理論、手筋が存在するのが普通です。
ところが私達が楽しんでいる麻雀の世界では、誰もが納得する普遍的な理論は今の所、確立されていません。
ですから自分なりの理論を持って対局する必要があるのです。
オリジナルな理論は誰も理解できないことが多いので相手に恐怖感を与えることができます。
理論と言っても、確率的統計的な根拠を持った理論である必要はありません。
要は、一つのポリシーみたいなもので充分です。
明確なポリシーを持つことで、例えその局において裏目が出ても次回にはその教訓を活かすことができる筈です。
「早い立直は国士無双」や「単騎は五で待て」や「ダマ満なら立直でハネ満を狙え」なんて格言みたいなものを自分でいくつも作って、それに従いましょう。
いつも同じ面子で卓を囲もう
知らない人と卓を囲むのはやめましょう。
私達にとって麻雀というゲームはコミュニティを深める道具であるのが普通ですから、何も好き好んで、普段、付き合いのない人と卓を囲むことはありません。
グループが違うと、ルールやマナーも違うことが多いので、思いがけぬトラブルが発生するかもしれません。
せっかく麻雀を楽しんでいるのですから、無用なトラブルは避けたいものです。
気心の知れた、愉快な仲間と、いつもどうりのルールで麻雀を楽しむことに優る喜びはありません。
同じ面子で囲んでいると、相手の癖や麻雀観みたいなものも手に取るようにわかるようになるものです。
そうなってこそ、より深いレベルでの駆け引きが可能になるのです。
間違ってもフリー雀荘になど行ってはいけません。
そこで支払う高い場代で、仲の良い友人達に食事をご馳走する方がずっと素敵なことです。
観戦はしないようにしよう
他人の手を見ても何も面白くありません。
自分ならこう切る、と思って、実際の対局者がそう切っても切らなくとも所詮は他人がやってる麻雀です。
ただじっと黙って、他人の手を観戦するような行為は時間の浪費以外の何ものでもありません。
時間はもっと有意義に使いたいもの。
特に、自分よりも経験も豊富で、明らかに勝率も高いような上級者を観戦することは避けるべきです。
上級者だからって、そんなに自分と打牌が変わらないのに、何故、高い勝率を維持できるのか、いくら考えても判らないことが多いのです。
へんに自信を喪失したりすることにつながるかもしれません。
それに比べて、自分よりも初心者の手を観戦することは精神衛生上、いくらかマシかもしれません。
「あ、また失敗してやがる」とほくそ笑むのはそれなりに楽しいものですが、あまりカッコ良いことではないですね。
観戦はさせないようにしよう
これは言うまでもないことです。
自分の手を他人に見せるのは百害あって一利無し、です。
常識を持った人ならば、本来隠しておくべき手牌を、卓外の人とはいえ、他人の目にさらけだすことの理不尽さは理解できる筈。
自分の手を公開するのは、和了った時と聴牌宣言をする時だけです。
こんなこと、常識中の常識です。
勝ったらウタおう、負けたらクサろう
ウタうことは勝った人間の、クサることは負けた人間の当然の権利です。
勝って嬉しい時には、勝った理由を自分なりに解析して、他の人に吹聴しましょう。
どんな風に牌をツモったか、どのような手順で手を進めたか、相手の立直をどう読んだのか、自慢話は楽しいものです。
他人はあまり聞きたくないかも知れませんが、これは自分の感情に素直に従った行為です。
負けて悔しい時には、思いっきり毒づきましょう。
こっちの聴牌を取っていたら、そんな仕掛けさえなかったら、牌の順序が違ってたら、別の結果になってた筈です。
負けた時くらいは、その悔しさを明らかにし、次回のバネにすべきです。
勝っても負けてもポーカーフェイスでいるなんて面白くありませんね。
長時間やろう
どうせ囲むならなるべく長い時間、囲みたいものです。
普通の社会生活に支障を来たす程の長い時間を麻雀に当てることで、次のステップに到達できます。
一昼夜二昼夜、続けていると思考能力が低下し、このこと自体は悪影響が無いとは言えませんが、頭で考えるのではなく、体で自然に身に付く何かがあります。
理論的な戦術をマスターすることだけが、真の上達ではありません。
体で覚え、体で察知し、体で打牌を選択し、体全体で感じることができる境地は、長時間の闘いを繰り返し経験して初めて達することができるものです。
ただ楽しいから長時間やるのではなく、思考能力を低下させることを目的として長時間やることが大事な点です。
『マナー』に気を使い過ぎないようにしよう
先ヅモしたり、両手を使ったり、発声せずに立直するなどの行為は、一般にマナー違反とされていますが、そんなことは気にかける必要はありません(ただし、ルールとして明文化されていたり、事前に合意が求められている場合には当然、従わなければなりません)。
ルールではない曖昧な事柄の内、自分に有利に働く行為は積極的に活用しましょう。
麻雀は(基本的には)対人ゲームですから、相手の気持ちになってスムースに局を進行させることは大事なことですが、勝ち負けを左右するような行いは常に自己中心的でなければいけません。
他人にトップを取らせるための行為などは、麻雀だけでなくどのような競技においても許されないことなのです。
自分にとって有利な行為=相手にとって不利な行為を積み重ねてこそ、競技が成立するわけです。
自分の手を聴牌に近付けることは間違いなく自分にとっての有利な行為であり、その延長として、先ヅモや発声せずの立直という戦術があるわけです。
相手への思いやりは勝負とは無関係の事柄についてのみ実践すればよいのです。
本当の所、心の中で相手を尊敬しその人格を認めてさえいれば、わざわざ言葉や態度にする必要もありません。
「以心伝心」という言葉もあります。
…ねっ、アタキに『上達法』なんて、ロクなことにならない。