麻雀打ちの頁/雀のお宿

今は無くなったニフティサーブの麻雀フォーラムについての思い出。麻雀について考え、麻雀について人と語る楽しさをこの麻雀フォーラムに教えてもらった。

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F麻雀の思い出

今では考えられないくらい濃いコミュニティだった

 アタキが初めてパソコンを使った通信の世界に触れたのは、1987年のことだったから、このウェブ頁のアクセス者の中にはまだ生まれていなかった方がいるのかもしれない。
 大阪箕面市にあった表家業の会社の本社と私がいた新宿区荒木町の支社とでデータをやり取りするために、電話回線を使った通信環境を整え「Upload」だとか「LoginID」だとかの呪文を毎回シコシコと打ち込んでいたのだが、その通信速度は2400ボーの筈で現在の数千分の一というレベルではあったが、なかなか便利な世の中になったものだなぁと感心していたのが懐かしい。
 それから2年程経ってから、ニフティサーブのパティオを利用するようになった。
 パティオというサービスは、あらかじめ登録されている者だけが利用できる会員制掲示板みたいなもので、これを部署間の連絡用に複数準備し、プロジェクトA用にはこれ、プロジェクトB用にはこれ、ユーザや営業マンからのトラブル対処用にはこれ、みたいなパティオの使い方をしていた。
 担当者相互のメールのやり取りで充分な内容であっても、異なる部署間における連絡はパティオを利用しようというルールがあったために、他の社員が抱えている問題を覗いたり、自分以外には直接何の関係も無い内容を他の社員が知ることができたりとなかなかオープンな環境だったように思う。
 部署内の全社員にニフティサーブのIDが割り振られていたために、自然と皆、ニフティのその他のサービスを利用するようになっていたが、アタキはあまりそういったことに興味がなかった。自分の普段の生活とそうしたパソコン通信サービスが深く関係を持つなんて世界は想像もできなかった。
 それから何年も経って、アップル社のマックに初めて触って、コンピュータの持つ様々な可能性みたいなもの、自分のそれまでの人生が何てつまらないものだったかを実感し、私の周りに何人かいたマックの先生達からマックでもニフティを利用することは簡単だと教えられたのは、ニフティサーブに麻雀フォーラムが出来てまだ間もない頃、1995年の暮れのことだった。

 わけのわからぬまま、麻雀フォーラムに登録し、ハンドル名を「百貫雀」とした。
 その時たまたま思いついたこのハンドル名をこんなに長く使うことになるなんて、当時は思いもかけないことだった。
 ニフティの麻雀フォーラムは「F麻雀」と呼ばれていた。
 そこでは毎晩、通信による麻雀対戦が行なわれており、その結果が専用の掲示板に掲載されてあった。その成績の優秀者が発表されていたり、出現した役満が記載されていた。
 アタキにとって「F麻雀」の一番の魅力は、様々な「会議室」と呼ばれる、テーマごとの誰でも書き込みのできるフリーの掲示板だった。
 ずっと若い頃から麻雀は好きで、強く、関連書籍も廻りの友人達よりは多く読んだ方だ。当時のアタキにとっては、麻雀は趣味なだけでなく特技でもあった。初めて入るフリー雀荘で、どんな特殊なルールで打っても、負けることはあまりなかった。
 そんなアタキではあったが、その会議室での様々な発言(=掲示板への書き込み)内容は、驚嘆にあたいした。
 その中味の濃さ、各人の造詣の深さ、何より麻雀というものについて様々な事柄が毎日、多くの人によって議論されているその事実に驚いた。
 平和の符計算について自分以外にこんなに深く考えている人間がこの世にいるなんて思いもしなかったし、その考えが実はアタキが考えているよりも数段上のレベルであることを知った時には、自分の思い上がりを恥ずかしく感じる以上に、今、この世界に触れることのできた喜びがアタキの全身を駆け巡った。
 麻雀は打つのも楽しいが、それを語ることも同じように楽しいことだ、という真実に出会えた瞬間でもあった。

 アタキが初めて会議室で発言したのは(会議室で発言=掲示板に書き込み)、平和のベース符に関する他人の発言のレスだった。
 そのアタキのレスは無視された。誰もアタキの発言に応答してくれなかった。
 たった一行ではあったけどアタキにとって生まれて初めての麻雀に関しての複数の見知らぬ人々に向かっての書き込みは完全に無視された。
 後でわかったことだが、アタキが付けたレスの元の発言は何十日も前のもので、誰もその話題に興味を示さなくなっていたばかりか、アタキの発言そのものの意味不明さ(たしか「食い平和を採用する手もある」というだけの一文だったと記憶している)のせいで、それに何らかの反応を示すことは困難な類いの発言だったのだ。
 何日かロム状態が続いた(ロム=発言せずに掲示板を読んでいるだけの人/リードオンリーメンバー)。
 お知らせ掲示板を読んで、まずは自己紹介が必要だなと思った。
 おそるおそる、といった感じで、丁寧な文章使いで、自己紹介文を投稿した。
 スグにレスが付いた。
 自分が書いたことに対して、見知らぬ人から応答があったことが嬉しかった。心から嬉しかった。
 何人かの方からレスが付いた。
 その一つ一つに、意識して丁寧な再レスを付けた。
 いくつかの会議室での話題にレスを付けると、その私の発言にまたレスが付いた。
 発言を続けることで考えがまとまったり、他人の発言によって真理が理解できたりした。
 以前からアタキが疑問に思っていたことに明確に応えてくれる発言もあった。
 それまで知らなかった多くのこと(すべて麻雀に関すること)を知り、それまであまり気にしていなったことなのにあらためて気になることも増えた。
 アタキの頭の中で、麻雀の占める割合は、それまでの何倍にも増えた。そして、そんなアタキよりも何倍も麻雀に人生をかけている人達の存在も知った。
 1996年の春先から夏にかけて、アタキはF麻雀の中でも、かなりアクティブなメンバーだった。

 アタキが関わった話題は、ルールに関するものが一番多かった。
「スポーツ(ブーマン)」「サンマ」「得点」「戦術」「漫画」「プロシステム」「マナー」「雀荘システム」などの話題に口を挟んで、あれこれとしったかぶりを披露したり、意味のないツッコミを入れたりした。麻雀とは無関係の「70年代洋楽」や「銀河英雄伝説」ネタなどにも少し加わった。
 この『お宿』の中でも多くの反響のあったコンテンツのいくつかは、F麻雀の会議室で過去にアップした内容を焼き直ししたものだ。 [雑録]の「マナーの色々」[創語]の「麻雀遺伝子」などが代表的なものだが、それ以外にもあるし、F麻雀でアップしてこの頁に掲載していないコンテンツもまだ残っている。
 自分が発言した何十倍も何百倍も、他のメンバーの発言を読み、その内容はどれも興味深いものだった。
 私以外のアクティブなメンバーのほとんどは、私と同じように麻雀を愛している人々だったので、そうした自分と似た感性を持っている人達との、発言を通じての交流は楽しいものだった。中には嫌いなメンバーもいたが、今から考えると、その人が実は麻雀を愛していないということを当時のアタキはそれとなく察知していたのだと思えるし、それはアタキ以外のメンバーにも伝わっていたことだろう。
 しかし概ね、楽しい日々を送ることができた。
 連盟に所属しているプロ、雑誌のライター、麻雀教室の講師、雀荘のメンバー・オーナー、漫画原作者、麻雀研究家、そしてアタキと同じようにとにかく麻雀が好きで好きでたまらない多くの麻雀愛好家が、毎日、どこかの会議室に顔を出し、何らかの発言を行い、それらを読むことのできる幸福ったらなかった。
 少しずつ、アタキの発言数は増えていった。
 月間の発言数がF麻雀全体の中で2番目に多い月があった。
 この月は会社の就業時間であってもF麻雀にアクセスしていたのだろうと記憶している。キーを叩くことが遅いアタキにとって、その月は毎日朝から晩まで、麻雀のことだけを考えていたに違いない。
 アタキの得意技は、長文/複雑/一気レスだった。

 オフ会と称する、実際にナマで行なわれる親睦会にも何度か顔を出した。
 ほとんどは実際に囲む「大会」だったが、そうでない場合もあった。
 オフ会で知り合ったメンバーの中には今でも連絡を取り合う仲間と呼べる存在がたくさんできた。
 実際に会うと皆んなはアタキのことを「百貫」だとか「百貫さん」と呼んでくれた。
 モニタを通じての付き合いとは全然違う付き合いができたが、それまでてっきり女性と思っていた方が、ニキビ面の若いあんちゃんだったりしてなかなか面白かった。だが、オフ会未体験の頃に想像していたよりも、モニタ上の発言による本人像と実際とがかけ離れていることはあまりなかった。
 表家業での出張スケジュールを調整して、オフ会に参加したこともあった。その時はアタキの上京スケジュールに合わせて、オフ会が企画されたのだった。
 大阪へは、マックワールド大阪との連荘スケジュールで、関西大会に出席した。
 名古屋へは、ただ麻雀するためだけに、何週間も前から準備万端整えて、何人かの若者と連れ立って遊びに行った。
 本当に楽しかった。
 アタキのいる博多へも、東京/横浜/愛知/京都/大阪から何人ものF麻雀メンバーが遊びに来た。囲んで飲んで、たまには歌って、至福の時間を過ごした。
 アタキの部屋に宿泊したメンバーもいた。それを聞いて、それまでたいした発言のやり取りをしたことのないメンバーが、ウチに宿泊させてくれ、なんて言うこともあった。
 この時期のアタキの麻雀ライフは、ほぼF麻雀を通じての活動と言ってよかった。
 とにかく楽しかった。

 1997年初め頃までの一年間あまりが、アタキがF麻雀のアクティブユーザーであった時期だ。
 それ以降は、何となくF麻雀を覗かなくなった。たまに会議室へ入っても何の発言もしなかった。
 その理由となった事件はあるが、それだけがすべてではないような気もする。
 そのうちにアタキは、F麻雀に行くことはなくなった。
 だが、そのニフティの麻雀フォーラムは、その後もずっと続けられ、新しいメンバーが新しい話題や昔の話題について発言し、多くのメンバーが通信対戦をし、何度もオフ会が行なわれたようだ。
 ウェブの時代になっても、会議室のようなコミュニケーションが完全にそれに代わることはないだろうし、そんな必要もない。たまに、役満の掲示で知ったハンドルを見つけると、「おっ、まだ頑張ってるな」と思った。

 2004年3月、ニフティの麻雀フォーラム閉鎖。

 ありがとうございました。

[街荘]ネタを2本立て続けにアップしたせいか、今回、[放言]っぽさがなく、少しハードボイルド風味になってしまった。
ちなみに、F麻雀で知った教わった気付いたことの中で、アタキにとって一番のことは(人間関係を別にすれば)それは「賭けない麻雀の面白さ」これに尽きる!