ブーマン競技者が目指すモノ
半荘の目標
半荘の第一目標はズバリ「自らが一人浮きトップとなること」です。
一人浮き状態のことを「Aトップ」とか「マルエー」と言います。
上表にある通り、二人浮き(Bトップ、マルビー)トップでは、たかが 30 ポイントしか獲得できませんが、Aトップだと 80 ポイント、なんと2倍以上のトップ価値があります。
誰もがAトップを狙うのですが、なかなか思うようにはいかないので、次には「Bトップでもイイや」と思うことになります。
Bトップで 30 ポイントを得ても、次回に他人にAトップを取られると、そのポイントはなかったことになります。
それでも他人にトップを取られるよりも優れた結果であるとは言えるでしょう。
どんなに腕が良くても思い通りにいかないのが麻雀ゲームの面白い所、とても自分がトップを取れそうにないならば、「取りあえずは浮くこと」を目指すのは当然の話。
そして(ここからが肝心よ!)浮くことも叶いそうにないなら、最終的には「他人のAトップを防ぐ」ことが目標になります。
例えば自分がマイナスしてのBトップであれば、「Aトップを取られなくてホッとした」なんて普通の感覚なんです。
自分の持ち点がゼロに近く和了れそうにもない局面で、トップ者の親が2副露している際には、原点付近にいる他者に差し込んでBトップ(もしくはCトップ)で済ますことは正しい選択です。自分のマイナスポイントを小さくできたのですから。
このような行為を「仕事をする」と言います。
そうです、雀鬼会で言われる「良い仕事」とは、自己犠牲のように見える行為で結果的には自分にも得となるような選択のことです。
ドボン確定者に差し込んでもらいたいならば、できるだけ判りやすい待ちで聴牌している必要があります。
得点的にリーチが不要な場面でもあえてリーチすることで自分が聴牌であることを明言した上で、なおかつこれは危険だと思われる待ちでいなければなりません。
振り込んでもらわないと今にもトップ者の親が安手をツモ和了りしてAトップを取りそうなんですから、みんな必死です。
えーっ、まだ東場二局なのにーっ、関係ありません。ブーマンでは半荘開始時から、普通のリーチ麻雀の接戦のオーラス状態なんです。
東場一局の荘家(親)の戦略
親は得点的に有利です。
40符三飜のツモ和了りを目指します(ナマの40符三飜では子方の満貫に届きませんが、これにドラや門前点を絡めると満貫に届く可能性が高い)。
そうでなければ、親の内にそこそこ大きな得点をロンしておき次局に安手ツモを狙うか、子方の満貫には届かないけれど大きな手をツモ和了りできたならば次局は安手をロン和了りもできます。
やってはいけないのは、開局スグに安手をツモ和了りしてしまうことです(やってはいけない、と断言するのもどうかとは思うが…)。
次局になると他の三人全員がその人からの大物手のロン和了りを狙うことになり、他者にAトップを献上する可能性が増すからです。
自分のAトップの可能性だって増したんだからイイじゃないか、大物手を放銃しなけりゃイイんだろう。そういう考えができる打ち手もいることでしょう。ですがもしもその人(開局に安手をツモ和了りした人)が他者に(満貫には届かないまでも)そこそこ大きな得点を献上してしまうと、荒んだ展開になることでしょう。
それも麻雀だ、とは言えます。だけどそんなことにならないように最善手を全員が目指すことの面白さは言葉にできないくらいのものです。
二局目以降の戦略
持ち点がたくさんあって他の三者が沈んでいるなら、考えることはありません。目指すは「早和了り」。
得点的に合計して満貫分を目指すように進めますが、そうならなくとも、早和了りで他者の和了りを阻止すべきでしょう。役なんて無くても(0飜でも)4面子1雀頭があれば和了れます。
現在の優位な状態を保ちながら次局に臨めます。
持ち点はたくさんあるものの、原点者がいる場合には、その人の大物手を警戒しなければなりません。
彼が満貫手を作ってツモ和了りしたならば仕方ないかもしれませんが(自分は浮きのままで終われる可能性が高い)、彼への放銃は避けなければいけません。
自分も含めて、前局に自分に振り込んだ人(現在沈んでいる人)も巻き込んで、負けてしまうことになるからです。
沈んでいる状態ならば、まずは浮くことを目指します。
浮かない和了りに何も意味はありません。
持ち点が満貫間近の人がいて自分が沈んでいる場合には手作りも慎重になります(いつでも慎重さは求められるけど、特に)。
大きな手をツモ和了りしてしまっても、現在のトップ者に届かなければBトップを献上するかもしれません。特に待ちが広い場合には飜数を落とす選択を迫られるかもしれません。全員の手が総じて早いので、見逃しは常にリスクを伴います。
店によって禁止されている行為の一つに「自分が浮かないのに他者を沈める和了り」があります。禁止されていなくとも、別の人のAトップを誘発することにつながります。
どの店でも禁止されていることは「自分が浮かないのに他者をドボンさせる和了り」です。だって、自分の負けも確定するんですから、こんなことはありえないですね。
こんな事態が発生したら、沈んでいる全員分をまとめて支払わなければいけない、というルールを聞いたことがあります。
まぁ、ありえないとは思いますが…。
他者に和了られるくらいなら、安手でも和了りきってしまうことは重要な選択肢の一つです(場面にもよります)。
他者にAトップを取られるくらいなら、それを避ける選択は常に有効です。
例えば自分が少し沈んでいて、ドボンすれすれの人かいる状態で、トップ目がリーチしてきた場面。ツモ和了りされたら終了ですが、もしかすると自分が放銃する分には続行の可能性があるかもしれません。こんなことも念頭に置きながら、手を進めることになります。
結論、これがブーマンの魅力
展開がスピーディー
スグに半荘終了します。
たま~に南場四局まで行くこともありますが、かなり稀です。
会社員がお昼の休憩時間にブーマン荘で何回か楽しむ、なんてどこででも見られた光景でした。
1局の展開も一般の長マンに比べるとスピーディーです。
副露するとリーチはできないし、得点も低くなりますが、役無しでも和了れるせいで、取りあえずのポンチーは有効な戦略の一つです。
とにかく誰よりも早く4面子1雀頭作れば、いったんは他者のトップを阻止できます。
繊細な手作りを要求される
大きな手を作ればイイ、なんてことはありません。
常に全員の持ち点を意識しながらの手作りとなります。
役を目指す局面、役を嫌う局面、自分が和了るべき局面を念頭に置いて戦います。
リーチをかけての七対子をツモりたければ、山には残っていそうで、他者からはこぼれないような牌を選択しなければいけません。
そんなに何もかも自分の読み通りに展開するわけはないのですが、いつもそんなことを考えながら打たなければいけないことの面白さったら、ありません!最高です。
いつだって緊張感マックス
繰り返しになりますが、常に通常の麻雀で全員が接戦でのオーラスみたいな状況です。
ここからは和了れる和了れない、安目なら和了れるけど高目なら和了れない、下家に鳴かせて手を進めてもらうのが得か損か、当たり牌候補の牌はどこまで持って差し込むべきか、考えることがいっぱいです。
「手が悪いのでこの局はベタオリ」なんて通用しません。自分の手が和了れそうでも、安手しか作れなさそうなら、沈んでいる親のリーチを静観しようというのも積極的な選択肢だったりします。
ルールの完成度と競技性の高さ
これはアタキが勝手に思っているだけで、多くのブーマン愛好者とは違う考えかもしれません。
得点の多寡に関わらず一人の勝者を決することはどのようなゲームにおいても競技性が高いことは間違いありません。野球もテニスも将棋も、ゲーム途中の得点やセット数を結果として云々しません。
麻雀は賭博ゲームとして広まった経緯もあって、未だに半荘終了時の持ち点によって、「勝ちの価値」を判断することを前提としています。
毎局の得点合計も雀力の評価に必要というのであれば(一つの卓見でしょう)、半荘なんて単位は無い方がスッキリするんじゃないでしょうか。
逆に半荘という区切りを付けたことで、様々な戦略や押し引きがあるのですから、最終評価に持ち点の多寡を考慮することは無駄なような気もします。
いやいや「無駄」とも言い切れませんね。
金銭を賭けての麻雀ならば、大きなトップにも意味がありそう。
野球やテニスや将棋と違って、複数人での競技なので、たんなる1勝1敗のやり取りでなく、「浮き沈み」という指標によって、トップの価値に差を付けたことは一つの成果だと思えます。
特に「敗者間の順位」という考えを無くしたのが素晴らしい。
「トップを取る」ことと「浮き沈みを考える」ことの2つでその価値を決定するので、(ゲームとしての複雑性は維持されながらも)戦略の選択をシンプルにしています。
「とりあえず浮きを目指す」はあっても、「とりあえず3着を目指す」はありえないわけです。もしも「とりあえず3着を目指す」戦略が有効になってしまうと、トップの価値とは無関係な価値(トップ者にとっては誰が3着でもかまわないので無関係)が発生してしまいます。
それはそれで面白いという意見もあるでしょう。アタキが思うに、過ぎた複雑性で、整合性が破綻しているように思えます。
ツモの偶然性は排除できないまでも、裏ドラが乗る乗らないの偶然性を排除している点も素敵なことだな、と。
なんか楽しい
上に掲げた全部のことが相まってだろうけど、なんか楽しい、です。
うん、理由は、うんうん、よくわからない(笑)。
とは言うものの…
このルール、覚えるの、大変
大変なのが点数の把握。
計算というほどではないし、リーチ麻雀よりも整合性が高いので、その気になれば誰でも覚えられるとは思うけど、一般の麻雀で「符計算」と呼ばれている行為を複雑だと思っている人にとっては(アタキも思ってます)、その8倍くらい複雑です。
毎日打っている人でも「断么ピンフ一盃口ドラ1」をロンした際には「クンロクはイチニーロクはイチサンロク」という呪文を唱えて 1360 点を得なければなりません。
符跳ねしない「リーチツモドラ1」だけなのに「イチニー、ニーヨンは、ニーニー、サンシーは、ザンニー、ヨンヨン」なんて唱えて 1080 点を得ます。
ナンノコッチャわかりませんね。
一般の麻雀に「符」なんて要らないとアタキは思っているけれど、ブーマンでは「飜」と同じレベルで「符」は必要だと思っています。というか、「符」という基本形があって、それの倍々オプションが「飜」という認識です。
ブーマンを楽しむのは、賢い人か、「符」のやり取りに繊細さを感じることのできる打ち手だけで良いと思います。
悲しき本音
アタキは「今こそブーマンの復活を!」とか「みんな、ジャンジャン横丁に行こう!」とか言いませんし思ってもいません。
世の中にはこんなルールがあって、こんな面白さがあるんだ、ということを書きたかっただけです。
以上、伝わりましたでしょうか?