麻雀打ちの頁/雀のお宿

標準的な麻雀規則はどうあるべきか考えてみよう、の続編。問い合わせへの回答とまとめ、修正点も。

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標準規則を整える

頑張ったけど、まだまだだ

一つ前(何と4年半前!)の放言は「考える」で、今回は「整える」。
前回、アップした標準規則について、「全然、標準じゃない」だとか、「オプションを増やせ」だとか、「抜けがある」だとかのメールをもらい、それらについてまとめたのが今回だ。
いろいろな意見のある中、あるページで(直接、メールをもらったわけではない)詳しいことは不明だが「がっかりした」という感想には、チト心が傷んだ。
ま、気を取りなおして、アタキはサイコロを振るゼイ!

「標準規則を考える」で言及されていない事柄

半荘終了時の供託された立直棒の扱い

「オーラスの特例はない」という前提なので、オーラスの荘家がリーチ流局した際には、立直棒が場に供託されたままの状態で半荘が終了することもある。
 清算時に、4人全員のプラマイが合わないと気持ち悪いので、競技麻雀でもない限り、誰かの得点にするのが普通だろう。
 リーチ者に戻す、という選択もあるけど、ここは、それ以外の持ち点が最も多い打ち手の取り、とする。
 持ち点最多者が複数いる場合には、トップ取りの条件に見合う者 (起家に近い者優先か、複数トップ者を認めるかはオプション/次項参照)での取り、とし、複数分割もあるよ、ということでどうだろう。
 割り切れない場合をどうするか、についてはオプションとしよう。

同点トップ者がいた場合の扱い

 巷では、以下の3つのいずれかが採択されている。
  ・トップ賞にあたるオカを同点トップ者全員で分割する(端数の調整については不明)。
  ・起家に近い方(というのは第一局の東家に近い方)をトップとする。
  ・西場に突入し、点差が付くまで、サドンデス(笑)。
 中にはジャンケンで、というのもあってもイイと思うのだが、アタキ自身、聞いたことがない。
 三番目のルールに遭遇した時には、トップに届かない打ち手は、この状況を作るべく、ラス前から点数計算しながらの手作りとなってなかなか面白かった。 あ、いや、脱線失礼。
 トップ賞オカを分割するか、起家優先のどちらかのオプションとしよう。
 でも、最近では、圧倒的に起家優先がトレンドではある。

チイ/ポン(カン)/ロンの優先度

 いろいろとあるのは誰でも知っていることなので、これはオプション
 個人的には「チイとポンは発声優先、ロンは明らかな遅延でない限り常に優先」くらいが妥当だと思うのだが、押し付けできる意見ではないな。

チョンボ全般

 チョンボの種類、チョンボ後のゲーム進行、チョンボの罰符のいずれについても、オプション
 って言うか、そこここで自由に決めても問題ないだろうと思うのだが、いかがでしょう。

チョンボについての意見を聞かせてくれとのメールがあった。
あくまで私見として、押し付けるものではないという前提で、「チョンボは厳しく取り締まるのが好きだ」と回答した。
誤チイ、誤ポン、スカートめくり、すべて満貫罰符とし、ゲーム進行が不可能な行為(誤ロンや山崩し)については テンパイ者がいればその最高得点分の罰符(もしくは満貫の高い方)を適用というものだ。
しかしながら、アタキ自身、チョンボはそんなに悪いものじゃないと考えている。
だから、標準規則としては「チョンボには限りなく優しい対応を/罰符でなく注意を(笑)」とも付け加えた。
このアンビバレント状況の説明は、別の放言でできるといいなぁ思う(どうせ、無理だろうとも思う)。

立直に関する質問と意見

立直はいつでもかけられる、は変だ

 [意見]・「一般的には自分のツモ番がある間(海底の4牌前まで)しかリーチできない」
 何が一般的かは判断できないけれど、この「いつまでならリーチがかけられる、かけられない」というのがとても面倒。
 他者の副露行為によってツモ番が変わること(無くなることも増えることもある)は常なので、自分のツモ番があるかどうかなんて 判断の材料にするのはどうかなと思う次第。
 現実に、いつでもリーチ可能な規則のフリー店は数多くあるです。

 [意見]・「海底牌でリーチする人はいない」
 リーチする人がいようといまいと、規則として特に制限はしないよ、というスタンス。
 だけど、チイやポンができないのと同じように海底だけはリーチできない、という規則でもおかしくはないな。困った(笑)。
 規則として「海底以外はいつでもリーチをかけられる」としよう。 どうせ、誰もしないんだから、運用上は問題ないな。いいよね、これで。

故意のノー聴リーチを認めるのはなぜか、認めるべきでない

 [意見]・(ノー聴リーチを認めると)麻雀における「守る楽しみ」を阻害する
 質問者は、さらに「さんざん考えた後で、リーチ者がノー聴だったときの脱力感は大きい」とも。
 いや、まったく、その通り。
 以下、本音の前に反論。
 リーチされていようといまいと「守る楽しみ」は充分に味わえる。それとも質問者は、リーチされた場合にだけ守るのだろうか?
 リーチされていない場合には、「さんざん考え」ないのだろうか?
 そもそも、これはノー聴リーチだけじゃなく、フリテンリーチやリーチ後の見逃し行為にも同様の感想であるように思う。
 フリテンリーチやリーチ後の見逃し行為が許されているのは、規則上の利便性や簡易性からでなく、 麻雀の本質的な楽しみ(苦しみや悲しみも含む/完先ルールでは味わうことのできない多大な面白さ)と密接な関係があるからだ と信じているアタキには、質問者の考えはあまりピンとこない。
 …。
 てな話は、ただの反論です。
 で、アタキの考えなのだけれど、そもそも「ノー聴リーチ」が実際に起こるのはどういう状況だろうということを考えた。
 アタキ自身は、よくやるのである。
 勿論、うっかりとテンパイした気分で、ノー聴のくせに「リーチ」と言ってしまう。
 自分がよくやるミスだから、許してくれる規則にしようよ、なんてことじゃない(…たぶん)。
 で、アタキ自身は故意でやっているわけではないけれども、この行為が故意なのか故意でないかは、誰にも判定できないわけで、 判定できない以上、「故意」であることを特別扱いするのは無理がある。
 て言うか、ノー聴リーチが「故意」かどうかを云々することは、誤ポンや、点数申告ミスが故意かどうかなんてことと同様に あまり意味がなく、誤ポンは誤ポンの扱いをすべきだし、点数申告ミスは誰かが修正してやれば済む問題だろうとも思う。
 で、世の中には(残念なことに)ノー聴リーチというものが存在し(この事実を受け入れられない方は、アタキと囲めば すぐに目にすることができる筈)、それへの対処を一応、決めようと思った「標準規則」において、 どうした扱いが順当だろうということで、アタキが出した結論が「普通のノー聴と同じでいいんでないかい」という感じだった。
 ノー聴には、一応「ノーテン罰符」があるわけだし、罪の償いはこれで済ませちゃえ、簡単でイイや。
 いや、何とも安易な結論を当時はしたものだ。
 それともうひとつ、元の規則の構文を見れば明らかなように、アタキ的には「ノー聴」と「空聴」とを 同列に処理しておきたかった、という気持ちもあった。

 [意見]・「このリーチはノー聴リーチか否か?」という判断が求められるが、無意味な負担だ
 この意見には、前項と同様の反論が可能だ。
 このリーチはフリテンリーチか否か、今ロン牌が出たのに見逃したのではないか、フリテンじゃないだろうけどツモにかけるつもりなのか、 といった判断は、麻雀の本質的な面白みを増すものだとアタキは信じている。
 この部分に限って言えば、フリテンであることとノー聴であることに差異はない。

 [意見]・リーチはテンパイしていないければ宣言できない、とするのが単純で良い
 まったく同感。
 はい、考えを改めました。
 リーチはテンパイした場合にのみ宣言できるものとします。
 テンパイでないのに、リーチした場合の扱いをどうするかは、チョンボとの兼ね合いもあり、ここでチョンボについて言及するのは、 ノー聴リーチについてとはチト違う話になるので、やめておこう。
 ノー聴リーチはできない。できないものはできない…標準規則を考えているんだから。

副露と槓に関する質問と意見

あらゆる喰い替えを認めるのは間違いだ

 [意見]・どんな喰い替えでも可能となるとおかしな事態が起こり得る
 質問者が挙げた「おかしな事態」の例は、以下のようなものだ。
  ・リーチ一発を消すためだけの鳴き(チイ)が頻繁に起こる
  ・ある牌をポンして同じ牌を捨てた時に、第三者が「ロン」できてしまう。
  ・赤牌の赤五筒を喰って、五筒を捨てる者が出る
 2番目のご指摘は間違いだ。
 同巡でのロンは認められておらず、何をもって同巡であると判断するかは、自分のツモ番に至ったか否かに依存するからだ。
 他者の間で何度ポンが繰り返されても、自分のツモ番までは「同巡」なのである。
 で、1番目と3番目の事例についてだが、アタキはそれらを「おかしな事態」だとは思わない。
 3番目の例を引き合いに出すのであれば、赤牌でもない五筒を喰って、五筒を捨てることこそが、やや、おかしいぞ、と思う。
 なのになぜ、あえてあらゆる喰い換えを認めるのかは、以降で述べる。

 [意見]・そんなルールは見たことも聞いたこともない/先鋭的すぎるのではないか
 冒頭で、一般的な規則であることを優先して考えると言っているくせに、まったく一般的ではないではないか、という主旨の意見だ。
 まぁまぁ、お怒りはわからんでもない。
 しかし、世の多数派が占めているという規則をまとめただけでは、わざわざ、こうして「考える」意味はない。
 一般的であることは優先したいけど、一般的に広まってしまったヘンな規則には縛られたくはないな、という気持ちも強い。
 う~ん、何だか、われながら言い訳じみた言い方だ(毎度のことだが)。

 [意見]・あらゆる喰い替えを認めようと思い立った理由は何か
(↑実際に、このような質問があったわけではないが、これに答えると話が進めやすい)
 そもそも、喰い替えの目的とは何だろう。
  ・高い得点になるための可能性を高める
  ・得点が、高くならないことの可能性を高める(そうすることで、誰からでもロンできる形を保つ)
  ・包則がある場合、特定の打ち手からの出和了りと同等の結果を得たい
  ・テンパイを維持したまま進行させたい(危険牌をツモってきたくない)
  ・リーチ一発を消したい
 その他にも、「攻めている姿勢を見せつけたい」だとか、 「対面の牌山に手を伸ばすよりも、左隣りの河から牌を持ってくる方がラクだから」だとか、 「うっかりとチイと発声してしまい、誤チイ罰を取られるよりは、そのままチイを実行する」だとかがあるかもしれない。
 この標準規則では包則は採用していないので、上に掲げた包に関するもの以外のどの目的も、 充分に有効な戦術として認められてしかるべきだろうと考えたのだ。
 手中に二筒三筒四筒四筒五筒六筒とあって、上家からの赤五筒を、三筒四筒で喰うのはダメだが、四筒六筒でならOKというのは面倒な規則であるように思える(どちらの場合も捨てるのは二筒)。

四萬四萬三索三索三索五索六索 ポン發發發 チイ七索八索九索

 対面の捨てた四萬をポンして、三索を捨てたアタキの真意は、
「索子が高そうに見える捨牌ですが、ただの發のみの手ですよ」
「この荘家の連荘を止めるために、アタキに振りこんでくださいね」
 というサインを出しているのである。
 とまぁ、喰い換えにはいろんな目的/効果があるけれども、こんな場合にはダメだとかの制限は不要じゃないかと思ったんである。
 特に、包則がない状況であるので、そんなに薄汚い展開になるとも思えないし、一発消しだって立派な戦術じゃないか、とも。

昔、あるブーマン荘で耳にした話。
同一牌だけはチイを許していないルールだったのだが、これはイカサマの防止が目的とのこと。
なるほど、と感心した記憶があるが、これは副露の手順を明確にすることで防げる類のものであるので、 現代では無視できる、とも思う。

「槓は一局につき、四つまでしかできない」が意味不明

 [意見]・既に4つ、槓がされている状態で、槓材をツモってきたらどうするのか
 そのまま捨てるか、別の牌を捨てるか、です。
 できないものはできないです。

流局に関する質問と意見

テンパイなのかノー聴なのかを判断する基準について

 [意見]・テンパイなのかノー聴なのかを判断する基準を明確に
 表現はともかく、こんな主旨だ。
 いつものように(笑)、いくつかの例を見てみよう。

例A-1:一萬一萬二筒二筒二筒三索三索三索五索七索 ポン發發横發 /既に、場に六索は4枚、捨てられている。
例A-2:一萬一萬二筒二筒二筒三索三索三索五索七索 ポン發發横發 /誰かが六索を槓している。
例A-3:一萬一萬二筒二筒二筒三索三索三索五索七索 ポン發發横發 /自分で、場に六索を4枚、捨てている。

例B-1:一萬一萬二筒二筒二筒五索七索 ポン發發横發 カン裏六索六索裏
例B-2:一萬一萬七索八索 ポン發發横發 カン裏六索六索裏 カン裏九索九索裏

例C-1:六索六索六索六索七索八索九索九索九索九索 ポン發發横發
例C-2:六索六索六索六索七索八索九索 ポン九索九索横九索 ポン發發横發
例C-3:六索七索八索九索 ポン六索六索横六索 ポン九索九索横九索 ポン發發横發

 実は、上に掲げたどの例もノー聴とする規則は存在する。
 で、問題になるのがAの例だ。
 これをノー聴とするためには、全員の河と副露を見なければならず、何とも手間がかかる。
 A-3の場合、捨てた牌が他者にチイされていることだってあるかもしれない。
 なので、他人の河は無視して、当事者の牌だけでテンパイ判断を行う、という規則も存在する。
 だが、この場合、A-2はテンパイで、B-1がノー聴であることの正当性を主張することが少し気持ち悪い。
 世の中にC-1の例をテンパイとする規則は見当たらないが、C-2とC-3の違いはそもそも何だろう?
 で、純手牌にのみ着目して、テンパイ判断を行うという考えが生まれた。
「純手牌」とは、副露していない(暗槓もしていない/つまり捨てる選択が可能な手牌)部分の牌のことだ。
 C-1の例がノー聴なのは、純手牌部分で既にすべての和了り牌を使い切っているからであり、その他の例はどれもテンパイと考えようというものだ。
 とても合理的で、簡便で、一般にも受け入れられ易い判断基準であると思う。

「純手牌」は、ゲーム研究家の草場純氏が生み出した概念だが、本人の名前を取って「純」なわけではない(筈だ)。

点数計算に関する質問と意見

切り上げ満貫に統一すべきではないか

 [意見]・イマドキ、「2000/3900」や「3900トーシ」なんてありません
 そう思われるのなら、「2000/4000」「4000トーシ」としてください。
 あなたがそうすることをアタキは止めませんし、アタキ自身もたぶん、そうした規則で遊ぶことがほとんどだし、 自分で好き勝手に決めて良いと言われた場合でもそうすることの方が多いと思うです。
 だけど、「2000/3900」のオプションを残しておくことは、荘家の「3900」や「7700」を生き残させることにもつながるような 気もするです。
 そんなの絶滅させてしまえ、という声も聞こえてきそうだが(笑)。

嶺上開花のツモ符が付かないのはおかしい

 [意見]・大明槓後の嶺上開花に2符を付けないのは何故か?
 ごめんなさい。
 これは、アタキのミス、ってか、大チョンボです。
 だって、この規則では「あらゆる包則は適用しない」前提なんだから、大明槓だからって、ツモ行為の一部なわけで、 「嶺上開花」という役と引き換えにツモ符を付けない、という理論は成立しようがありません。
 つまり、「ツモ符が付かない」というのは「ツモ行為とは認めない」からこその結果であって、 大明槓の場合(ツモでなく)大明槓させた捨て牌者のフリコミである、という場合にのみ、適用可能な論理だと言えます。

 [意見]・カンの種類によってツモ符を付ける付けないを区別する必要性がない
 大明槓をツモ行為と捉えることにより、すっきりした規則となります。
 すべてのツモ行為にツモ符が付くのは(天和、地和でも無い限り)当然のことです。

和了役に関する質問と意見

役の飜数が適当でない

 [意見]・混老頭が2飜は安い/3飜か4飜にすべき
 七対子か対対和と併せてしか成立しない混老頭という役については、いろんな意見があると思う。
 この意見者の真意は「役としての混老頭は廃止して、混老七対子/混老対対和という独立した役を採用しては」 という提案だった。
 大賛成。
 だけど、標準規則としてはどうだろう。
 これを言い出すと、 「ツモり四暗刻が役満は高すぎる」だとか、 「四槓子が4倍満は安すぎる」だとかの意見も出てきそうだ。

 [意見]・「七対子は2飜 25 符」の意味が不明
 意見というよりも質問。
 運用上は、「1飜 50 符」と同じなのだが、2飜としておくことで満貫以上の計算に そのまま使えるので、そう表記しただけだ。

人和について

 [意見]・人和と他の役との複合はどう考えるか
 例えば、配牌時に清一色をテンパイしており、ロン牌が第一ツモ以前に出た場合の話だ。
 対処は、次のいずれかが考えられる。
  ・通常の役と同様に、人和の4飜に、他の役の飜数を付加して計算する。
  ・4飜よりも高い役の場合にはそれとして計算し、そうでない場合には4飜とする。
 標準規則をまとめている際には、第一のパターンを念頭としていたので、特別な 説明は書き加えなかった。
 これで、問題なし、と思う。
 ところが実際の経験からすると、2番目のパターン、もしくは役満扱いというのが多かったのも事実。