リーチが嫌いな奴は少ないだろうと思うが、副露するのが苦手な奴は多いに違いない。
苦手なものだからハナから鳴くことを否定してしまい、あげくの果てにポンチイはよくないもの、なんて認識を持ってしまった不幸な打ち手は数多い。
現在の一般的なルールでは、副露することが不利に働く場面は実際によくあるのだけれど、それはあくまでトータルでの話。
状況によっては、わざわざ取り立てて言うまでもなく、鳴くことは大事な行為だし、必要な権利だし、勝利を勝ち取るための重要な戦術でもある。
鳴くのが下手な奴に真の強者はいないだろう(と思う)。
「副露するのはよくない。少なくとも向聴数の変わらない鳴きはすべきではない」
これは嘘だ。絶対に間違っている。
向聴数が小さくなるに越したことはないけど、そうでなくとも有効な鳴きはたくさん存在するし、そのような場面であるにも関わらず、目の前の牌をただ何もせずに見逃して自分のツモ番にかけるような打ち方は弱者の選択だろう。
上のような言質は(昔から何度も聞かされてきたけど)、思うに鳴くのが苦手な奴のほざきなのではないか。
そもそも「鳴く」という行為は積極的な行為で、その状況におけるそれなりの判断を下した結果の行動に他ならないけれども、「鳴かない」「見送る」「ツモにかける」などというのは、言い方は色々だけれども要は「何もしない」ということと同じだ。
普通に自分の順番が巡ってくるのをただ待つことが「鳴かない」ということなわけだ。
もちろん、熟慮の末に「鳴かない」という選択もあり得るが、それが可能な打ち手は鳴くことの重要性や必要性を十二分に理解しているはずなので「向聴数の変わらない鳴きがよくない」なんてバカなことを思っているわけがない。
【出】 (ドラ)
こんな牌姿で下家から出た(ドラ表示牌でもある)をポンしない奴がもしいるとしたら、そいつは麻雀をやめた方がイイ。
これがたとえ、和了らなくとも断トツのプラスで賞金の1000万円が目前の状態であっても、そのを見送るバカ者は麻雀をやる資格はない。
この、誰でもやるに違いない、やった方がたぶんにに有利なこの鳴きは「向聴数を変化させない」鳴きなのだ。
「向聴数を変化させない」有効な鳴きには多くの種類があり、これらを場面に応じて使うことができる打ち手こそ、真の強者だ。
それにはどんなタイプの鳴きがあるのだろう。
やっと、本題。今回のふりは長かったぁ。
役を完成させるための鳴き
【出】 (ドラ)
【出】 (ドラ)
【出】 (ドラ)
上の三つの例では、出た牌を鳴くことで、何がしかの部分役が完成する。
こんなおいしい牌を見逃してリーチという暴挙に出る奴には、バカ者の称号を授けよう。
まぁいつでもというわけではないのだけど、上のような牌姿で河の牌に反応しないことが悪手である局面は絶対に多いはずだ。
役を確定させるための鳴き
【出】 (ドラ)
【出】 (ドラ)
上の二つの例は狙いどおりの最終形が望める形ではあるけど、鳴くことによって確実になる場合だ。
誰だ、上の一通で、234や345でチイしようなんて言ってる奴は(笑)。
ドラを使い切るための鳴き
【出】 (ドラ)
【出】 (ドラ)
どうしてもドラを使い切る必要がある局面なら、向聴数がどうのこうのなんて言ってられないのだ。
受けを良くするための鳴き
【出】 (ドラ)
ノータイムで「チイ」できる打ち手だけが、嵐を起こすことができる。
この二筒が三枚目だったりする場合には効果は絶大だ。
【出】 (ドラ)
上と同じ形だが、上家が切ったのが二筒でなく一筒の場合だ。
アタキ的には一つの手筋だと信じているのだが、実際の所、どうよ。
ポン 【出、、、】
のどれに対応しても、良い受けになる。
この形でジッと何もせずに、なかなか待ちが変化しないことを悔やんでいるのがいわゆるバカ者。
待ち、なんて勝手には変化しないものだ。
自分で積極的に変化させなくちゃ。
アタキなんて相手をナメテる場合にはが出た途端にチイして、を捨てたりするゼ。
を引っ掛けるんじゃなく、相手が次に手出しする筈のを狙っての話だ。
他にもブラフとしての鳴きや、牌山から危険牌を持ってこないための鳴き、さらには勝負に参戦していることを知らせるための鳴きなんてーのがある。
「鳴き」の価値にもっと目を向けよう、リーチばっかりかけるんじゃネエ、というテーマでした。